松竹伸幸氏の除名問題は、しばしば「異論排除か否か」という問題として論じられる。しかし、これまでの資料を精査し、さらにその主張内容と党の対応を突き合わせると、より本質的な問題が浮かんでくる。それは、異論が党内においてすら、実質的に討議の対象とならない組織構造だということである。
松竹氏の主張は「排除されるべき異論」だったのか
まず確認すべきは、松竹氏の著書「シン・日本共産党宣言」での主張内容である。
第一に、「党首公選制の導入」について
日本共産党規約は、党首公選を禁止しているわけではない。規約は指導機関の選出方法を定めているが、それを将来的に変更する議論そのものを禁じているわけではない。したがって、公選制の提起は規約違反ではなく、制度改革の提案にすぎない。
第二に、「安保・自衛隊政策の現実的再整理(段階論の明確化)」について
松竹氏は、党の基本政策を「核抑止抜きの専守防衛」として、日米安保条約と自衛隊の存在を前提とする立場を提示したが、これは党自身が採用している「段階論」と構造的に一致している。
すなわち、現実の政治過程では当面の共存を認めつつ、最終的には安保廃棄・自衛隊解消をめざすという枠組みである。松竹氏も著書の中で、その先に安保廃棄と自衛隊解消を展望していることを明言している。したがって、その立場は綱領の最終目標を否定するものではない。
以上から導かれる結論は明確である。松竹氏の主張は、党の綱領や方針と対立する「異論」というよりも、同一枠組みの内部における解釈や優先順位の違いにすぎない。
したがって、これらは本来、党内で検討されるべき政策論争の範囲にあると考えられる。それにもかかわらず、指導部がこれらを「綱領逸脱」や「党攻撃」と即座に断定した事実は、問題の本質が「意見の内容」ではなく、「討議の機会の欠如」にあることを示している。
「党内で意見を述べる機会があった」という形式論の限界
党側は一貫して、「松竹氏は党内で意見を述べる機会があったにもかかわらず、それを行使しなかった」と説明している。しかし、この説明は形式的なものである。問題は、単に発言の機会が存在したかどうかではなく、その意見が現実に討議の対象となり、組織としての合意形成に影響を及ぼし得る構造があったかという点である。
松竹氏の主張は党の基本路線に関わるものであり、本来であれば党大会や中央レベルでの公開的な討議に付されるべきものであった。しかし実際には、そのような形での検討は行われず、外部発信を契機として一気に「規律違反」として処理された。ここに、討議の形式的存在と実質的機能の乖離がある。
民主集中制のもとでの「討議の閉鎖性」
この構造的欠陥は、民主集中制の運用と分かちがたく結びついている。党は民主集中制を「民主的討論と多数決」と説明する一方で「分派の禁止」「決定後の統一行動」「外部発信の制限」を厳格に求める。
この要件下では、次のような構造が生じる。
- 基本路線に関わる異論は「統一を乱すもの」と見なされやすい
- 分派とみなされるリスクがあるため、組織的提起が困難になる
- 討議は個別・断片的な意見表明にとどまり、全体的議論に発展しにくい
結果として、制度上は討議が可能であっても、実際には重要な論点ほど討議の俎上に乗りにくいという逆転現象が生じる。松竹問題は、この構造の帰結である。
外部発信は「原因」ではなく「機能不全の帰結」である
党は、外部への出版行為を規律違反の核心と位置づける。しかし、組織論的視点に立てば、外部発信は原因ではなく「結果」と捉えるべきである。
すなわち、党内で十分な討議が担保されず、重要な論点が可視化されない状況下で、意見が組織的に扱われないという状況のもとで、やむを得ず選択されたのが外部への発信であったと解釈すべきだろう。
つまり、松竹氏の行動は単なる規律の問題ではなく、党内討議の機能不全を告発する象徴的現象であったといえる 。
「異論」の実体――方針との不一致か、統治構造との衝突か
以上を踏まえると、「異論」という概念そのものの再検討が必要になる。松竹氏の主張は、綱領や段階論の枠内で解釈可能である。にもかかわらず、それが排除された理由は、内容の逸脱というよりも、指導部の方針との不一致や組織統一に対する潜在的影響にあったと考えるのが自然である。
したがって、「異論」とは客観的な政策対立ではなく、組織の統治構造と衝突する意見を指す機能的概念となっている。
結論――「討議されない異論」という問題
松竹伸幸除名問題が示した最大の問題は、異論の存在そのものではない。それは、
• 異論が党内で実質的に討議されない
• 討議されないまま規律問題として処理される
• 外部発信によって初めて可視化される
という構造である。この構造のもとでは、「異論の自由」は形式的に存在しても、実質的には機能しない。民主集中制は、統一性を維持する制度としては機能しても、多元的討議の制度としては制約を内在させる。
したがって、日本共産党に求められているのは、単に処分の適否をめぐる弁明ではない。必要なのは、
• 重要論点が党内で公開的に討議される制度設計
• 分派認定基準の明確化
• 外部発信と内部討議の関係の再整理
である。この課題に踏み込まない限り、「異論は許される」という理念は、討議されない異論を内包したまま、形式的なスローガンにとどまり続けることになるだろう。
関連記事
・志位発言の安全保障政策の理論と矛盾の考察
・日本共産党の組織改革へのジレンマ――除名・除籍・離党の増加と民主集中制の構造的限界
・幹部刷新と民主集中制の見直し――なぜ改革が起きないのか

