序言
2026年1月1日付『しんぶん赤旗』に、マルクス研究者マルチェロ・ムスト氏と日本共産党・志位和夫議長との新春対談が掲載された。対談は、日本共産党と現代のマルクス研究との接点を示すものとして興味深い内容であったが、同時に、両者のあいだにはなお小さくない隔たりが残されているようにも感じられた。
ムスト氏は志位議長の著作について「いろいろな共通点がある」と述べている。これは評価であると同時に、完全な一致ではないことを示唆する表現でもある。そこに示された微妙な距離感は、日本共産党の理論的立場とマルクス晩年の問題意識との関係を改めて考える契機となる。
マルクスは晩年、自らの理論を「どんな時代や場所でも通用する魔法の公式」として扱うことを激しく拒絶した。しかし、現代の日本共産党が「強固な党綱領」と「中央集権的な組織運営(民主集中制)」を維持している姿は、マルクスが最も警戒した「硬直したドグマ(教条)」とは言えないだろうか。
党綱領は「万能の鍵」になっていないか
マルクスは晩年、自らの理論を「あらゆる民族が必ず通る歴史の一本道」として扱うことを強く拒絶した。ロシアの社会発展をめぐる議論に関連して、彼は次のように述べている。
「(私の理論を)あらゆる民族が、その置かれた歴史的環境がどうあろうとも不可避的にたどらなければならない道という『超歴史的な理論』へと作り替えることは、私に過分な名誉を与えすぎると同時に、過分な屈辱を与えることでもある」(1877年『祖国の手記』編集部への手紙)
日本共産党が掲げる「二段階革命論」や「高度に発達した資本主義からの移行」という綱領的枠組みは、まさにマルクスが拒絶した「超歴史的な公式(万能の鍵)」となっていないか。現実の複雑な変化を、あらかじめ決められた「綱領」という枠に押し込める行為は、マルクスに対する「屈辱」に他ならない。
未来社会を「レシピ化」していないか
マルクスは、『資本論』第2版の序文において、未来社会の具体的な設計図を求める人々を皮肉って、「私は、未来の料理店のために(あらかじめ決まった)レシピを書くつもりはない」と述べている。
これは、社会の具体的形態は歴史的過程の中で生成されるものであり、事前に確定できるものではないという立場を示している。 しかし、日本共産党は「強固な党綱領」という形で、未来へのプロセスを細かく規定し、それを組織の絶対的な指針としている。
ムスト氏が指摘するように、晩年のマルクスは「歴史は一本道ではなく、多様な可能性がある(多線的発展)」と考えていた。特定の「レシピ」を全国の党員に守らせようとする中央集権的な姿勢は、マルクスが重んじた「現場から生まれる予測不能な創造性」を根本から否定している。
中央集権は「現場のコンテクスト」を圧迫していないか
ムスト氏は、晩年のマルクス研究を通じて次のように結論づけている。
「マルクスは歴史の進展を抽象的な法則に従わせるのではなく、常に存在するさまざまなコンテクスト(現場の具体的な状況)の内側に位置づけるべきだと繰り返し主張した」 (マルチェロ・ムスト『マルクスリバイバル』より)
日本共産党の組織原理である民主集中制は、中央の方針を全体に徹底する強い統一性を持つ。この仕組みは一定の組織力を生む一方で、地域や職場など現場の具体的状況から生じる独自の知見や問題意識が十分に反映されにくくなる可能性もある。
中央が定めた分析や方針を優先する過程で、現場の違和感や新しい発見が「例外」や「逸脱」として扱われるならば、理論を現実によって更新する契機は弱まる。マルクスが重視したのは、理論を現実に適用すること以上に、現実によって理論が変えられていく過程であった。
結論――理論の名において現実を閉ざしていないか
日本共産党が自らをマルクス主義の系譜に位置づけるのであれば、理論は固定された教義ではなく、現実との相互作用の中で絶えず検証され、更新されるべきものと考えられる。
強固な綱領、明確な未来像、統一的組織運営は政治的実践にとって重要な要素である。しかし、それらが現実の変化や多様な意見を取り込む余地を狭めるとき、理論は指針であると同時に拘束にもなりうる。
マルクス晩年の思考が示すのは、「確実な答え」を持つことよりも、「不確実な現実に開かれていること」の重要性である。その意味で、日本共産党が直面している課題は、理論の正しさそのものよりも、理論と現実との関係をどのように保つかという問題にあるのではないか。
関連記事
・日本共産党「資本論学習運動」の再検討――マルクス研究と綱領、現実政治的重点のズレ
・日本共産党の存在意義――公共的な対抗軸としての再定義
・新春対談 いまこそマルクス
・志位和夫議長×マルチェロ・ムスト教授

