『マルクス・リバイバル』読解ノート③―ムスト氏の「序章」を読む

マルチェロ・ムストによる『序章』は、従来の硬直化したマルクス主義ではない、現代におけるマルクス・リバイバル(再読)の意義を提示している。本稿では、その主要な論点とムスト独自の解釈、さらには日本共産党との相違を考察する。

主要な論点:理論的革命の軌跡

本章は、以下のように、マルクスの知的形成から共産主義の構想まで、多角的な視点からその「理論的革命」を記述している 。

知的形成と「行為の哲学」への転換
マルクスは青年ヘーゲル派との交流を経て、哲学を「現実の解釈」から「社会の変革」のための実践的な理論(行為の哲学)へと転換させた 。

唯物論的歴史観と経済学批判
「物質的な存在が意識を規定する」という核心を掴んだマルクスは、生涯をかけて『資本論』に結実する経済学批判に邁進した 。

資本主義の破壊的動態
資本主義を歴史的に特殊で過渡的な生産様式と捉え、それが人間のみならず、地球環境をも食いつぶすシステムであることを明らかにした 。

グローバルな解放と周縁部への注目
解放の主体をプロレタリアートに置きつつも、歴史の単線的発展段階論を否定し、植民地や周縁部(ロシア、アイルランドなど)における革命の可能性を柔軟に探った 。

共産主義のアウトライン
共産主義を「自由な人々のアソシエーション」と定義し、労働時間の短縮を通じた個人の自由な発展こそが、新社会の基盤であることを強調した 。

ムスト氏によるマルクス理解の特徴:「開かれた理論」

ここでムスト氏が提示するマルクス像は、全体として「開かれた批判理論」としての性格を強く帯びている 。

「未完」ゆえの刷新可能性
ムストは、『資本論』をはじめとするマルクスの理論が本質的に「未完」であることを強調する 。膨大な草稿やノートが死後一世紀を経て公開されたことで「青年マルクス」が発見されたように、マルクス理解は絶えず再構成され続けるべき「読み直しの対象」であるとする 。

非決定論的な歴史理解
また、物質的生産の重要性を認めつつも、経済が社会のすべてを一方向的に規定するという経済還元主義を明確に退けている。経済と文化・政治が単純な対応関係にない「不均等な発展」を認める姿勢は、マルクスが複雑な相互作用を重視する非決定論的な思想家であったことを浮き彫りにしている 。

社会主義とエコロジーの結合
ムスト氏は、資本主義が環境破壊を必然化するシステムであることを指摘し、人間は地球の「所有者」ではなく「用益者(管理者)」にすぎないとするマルクスの認識を強調する 。これは、社会主義とエコロジーが根底で結びついていることを示す現代的な解釈である 。

日本共産党の理解との相違

ムスト氏の解釈と日本共産党の立場を比較すると、マルクス理論を「どのような性格のもの」と捉えるかという根本的な違いが見えてくる 。

理論の体系性 vs 開かれた批判
日本共産党はマルクス主義を「綱領」として体系的に整理し、社会変革のための一貫した武器(科学)として提示する。一方、ムスト氏はそれを絶えず自己刷新を続ける多義的な批判理論として解放しようとしている 。

発展段階論の枠組み
日本共産党は、民主主義革命から社会主義へと進む段階的発展の枠組みを明確に設定しているが 、ムスト氏はマルクスが単線的な歴史観を拒否し、状況に応じた多様な変革の道筋を認めていた側面を強調する 。

理論と実践の関係
日本共産党では理論は党の統一的方針に基づく組織的実践の指針として位置づけられている。これに対し、ムストは理論と実践(大衆運動)が互いに影響を与え合い、絶えず変容し続ける相互作用の関係として捉えている。

ソ連流ドグマからの脱却

ムスト氏の論考において極めて重要なのは、かつての「現存社会主義」諸国で公式哲学とされた「マルクス・レーニン主義の狭隘な教義(ドグマ)」に対する峻烈な批判である 。

ソ連流の「弁証法的唯物論」や「経済主義」は、存在のあらゆる現象を物質的部面に還元し、マルクスの批判的思想の力を弱めてしまった。

ムストは、こうした官僚的な国家社会主義や「灰色の均一性」を招いた教条主義を、マルクスの本来的でリバタリアン(自由至上主義的)な思想とは無縁の「皮肉な茶番」であると断じている 。

この視点は、日本共産党が自主独立の立場からソ連流の教条主義を批判してきた経緯とも重なる部分があるが、ムスト氏はさらに一歩進んで、理論そのものが持つ「未完で非決定論的」なダイナミズムを強調することで、いかなる組織的体系からも独立した「生きたマルクス」を現代に蘇らせようとしていると言えよう。

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