はじめに
アレックス・カリニコスは『マルクス・リバイバル』第5章「階級闘争」において、階級闘争論を歴史理論・経済理論・政治理論を結びつけるマルクス思想の中核として再評価している。
しかし同時に、マルクス理論が未完成のまま残した遺産についても率直に指摘している。その未解決の課題とは、
- 社会変革の具体的な「政治組織(党)」をどのように構想・組織するのか
- 複雑な現代社会の「階級構造」をどのように体系的に理解するのか
という二つの問題である。これらの問題は、現代の日本共産党が直面している理論的・政治的課題とも深く重なり合っている。
マルクスの到達点――階級闘争を主体形成のプロセスとして捉える
マルクスは、資本主義社会を単なる市場経済としてではなく、資本と労働の搾取関係によって成り立つ敵対的社会として分析した。彼にとって階級闘争とは、単なる目先の経済的利害対立にとどまらない。
労働者が、部分的な賃金闘争を経験し、恒常的な労働組合を形成し、やがて一般的な法律(8時間労働制など)を勝ち取る政治運動へと高まっていくなかで、客観的な存在(階級そのもの)から、自覚した主体的存在(大衆自体にとっての階級)へと転化していく、その「自己組織化」と「主体形成」の歴史的プロセスそのものであった。
その意味で、マルクスの理論の根底には「労働者階級の自己解放」という思想が存在している。社会主義とは上から与えられるものではなく、労働者階級が内乱(日常不断の闘争)を通じた自己教育によって、自ら支配能力を獲得していく過程にほかならない。
なぜマルクスは組織論を十分に展開しなかったのか
しかしカリニコスは、マルクスが「革命を実現する具体的な政治組織」について十分に論じなかったと指摘する。カリニコスの議論を踏まえるなら、その理由は以下の三点に整理できる。
第一に、マルクスには、資本主義的生産が自然過程の必然性をもってそれ自体の否定を生み出すとする「目的論的傾向」があった点である。資本蓄積が進むにつれ、労働者階級の反抗も必然的に組織・増大していくと考えたため、「いかにして主体の組織化を媒介するか」という具体的な組織論が相対的に後景へ退いた。
第二に、マルクス自身の政治経験が、秘密結社(共産主義者同盟)から、多様な社会主義流派・労働組合の広範な連合体(国際労働者協会)に至るまで、流動的かつ多様な形態を含んでいたため、特定の政党モデルを絶対化・理論化する歴史的条件になかった点である。
第三に、マルクスはセクト的な陰謀主義を退け、基本的大衆運動の意義、すなわち「労働者階級の自己解放」を最重視した点である。指導部や特定の組織構造を過度に特権化することを避けた結果、
- 前衛党の組織原理とは何か
- 党と大衆の関係をどう規律すべきか
という問題は、次世代のマルクス主義者(レーニン、ルクセンブルク、グラムシら)へと委ねられることになった。
日本共産党における「理論的補充」とその前提
日本共産党を含む20世紀の伝統的共産党運動は、このマルクスの未完成部分に対し、レーニン主義的な「前衛党論」や「民主集中制」をもって一つの回答(理論的補充)を与えた。
「資本主義は自動的には崩壊しない(必然性は不確定である)」という認識に立つならば、支配階級の政治権力に対抗するためには、国民の主体的運動を強力に政治的に組織化し、たゆみない宣伝と教育を行う「自覚的な先進部隊(前衛党)」とその強固な組織規律が不可欠であると考えられたからである。
この意味で、日本共産党の組織論は、マルクスが残した空白に対する歴史的な「補充物」であったといえる。
本質的な問い――組織原理は「主体形成」を促進しているか
ここでカリニコスの問題提起(マルクス主義の自己解放の理念)に立ち返るならば、真に問われるべきは「民主集中制という形式そのものの正当性」ではない。カリニコスの問題提起とマルクスの思想を踏まえるなら、問われるべきは別の点にある。
それは、「その組織形態や実践が、現代において本当に労働者・国民の『主体形成』を促進しているか」という問題である。
マルクスがストライキや組合闘争を高く評価したのは、それが単なる賃上げ手段だからではなく、労働者が分断と受動性を克服し、自信と自己組織化能力を培う「訓練の場」だったからである。
したがって、補充された組織原理(民主集中制)が有効に機能しているかどうかは、それが構成員や支持者の「自発性を高め、主体性を育て、豊かな多様性を引き出す自己教育の場」として機能しているかによって評価されなければならない。
もし組織運営が硬直化し、上意下達の強化や異論の抑制、あるいは受動的な服従を強いるものになっているならば、それはマルクス思想の中核である「自己解放」の理念との間に深刻な緊張関係(矛盾)を生むことになる。
もう一つの未解決課題――現代の複雑な階級構造への視座
カリニコスが指摘するもう一つの未完成部分は、抽象的な経済理論と、具体的な現実の階級関係を結ぶ「階級構造論」の不在である。
マルクスの時代に比べ、現代社会は管理職、専門職、公務員、非正規労働者、フリーランス、あるいはジェンダーや人種・国籍による分断など、労働者階級の内部構造が極めて複雑化・多様化している。
カリニコスは、現代マルクス主義社会学者エリック・オーリン・ライトらの研究を引きつつ、「資本対労働」という生産構造・搾取関係の根源性を擁護しながらも、「労働の側もまた一枚岩ではない」という現実を体系的に把握する必要性を強調している。
日本共産党への理論的・実践的問い
日本共産党は、非正規雇用の告発や「国民多数の共同」を掲げ、ジェンダー平等など「階級以外の抑圧」との結合をも模索している。
しかし、この「複雑に変容・分断した現代の階級構造そのものをどう体系的に理論化するか」という点においては、なお発展の余地がある。
これは単なる教条的な学問の問題ではない。なぜなら、「社会変革の主体を誰(どのような重層的構造)と捉えるか」は、そのまま「どこに向けて言葉を届けるか」「何を共通の階級的・社会的利益として提示し、分断を克服するか」という、党の支持拡大戦略や運動方針の根幹に直結するからである。
「政策や主張は正しいはずなのになぜ支持が広がらないのか」という今日の党の苦悩の背景には、この現代的階級構造の理論的把握と、それに応じた組織・運動形態の再編という課題が横たわっている。
おわりに――カリニコスの論考が投げかけるもの
カリニコスの論考は、新自由主義下で格差が拡大し世界の労働者階級が再編されつつある今日においても、階級闘争論が現代社会を理解する有力な枠組みであることを実証している。
日本共産党は、マルクスが遺した組織論の空白を前衛党論や民主集中制によって補充し、階級構造の複雑化には共同論で対応してきた。
しかし今日問われているのは、その理論の「存在」や「歴史的正当性」それ自体ではない。カリニコスの鋭い指摘を現代の日本に引き寄せるならば、最終的な結論は次のように集約されるだろう。
――その補充された組織原理や運動実践は、現代の複雑化した社会において、本当に人々の自発的主体性を育み、社会変革の広範な担い手を結集できているのか。
その有効性の検証は、組織の自己目的化や過去の正当性の主張によってではなく、「国民の主体的参与の広がり」と「社会的・政治的支持の拡大」という客観的な現実の成果によってのみ厳密に行われなければならない。
