【小論】志位自由論と政党支持――気づかぬすれ違い

理念・理論

共産主義には自由がない?

一般の人々が「共産主義には自由がない」と感じるとき、多くの場合、それは『資本論』の解釈の問題ではない。一党支配、言論統制、結社の自由の制限、政権交代の欠如、国家による監視や抑圧といった20世紀社会主義の歴史経験を念頭に置いているのではないか。つまり、人々が問題にしているのは、主として政治的自由市民的自由なのである。

ところが、志位氏の議論は、「政治的自由」の問題に対して、「自由な時間」や「労働からの解放」という社会経済的自由を提示して応答している。ここには論点のずれがある。「自由な時間こそ富である」といくら述べても、人々が抱いている疑問への答えにはなっていない。

組織の姿に市民的自由を見る

そして、人々はその答えを現在の日本共産党の民主性、組織文化にも見ている。「いくらいいことを言っても、そんな政党に政権を任せられない」と思われれば、支持が広がるはずがない。本当の課題は、「自由な時間を重視する社会経済構想」と、「政治的自由・市民的自由をいかに制度的に保障するか」を、どう結びつけるのかにあるのではないか。

「自由な時間」というマルクス解釈そのものが「新しいかどうか」以上に、なぜ人々が共産主義に自由の欠如を感じているのかという問題設定自体を十分に捉えているのか。そこにこそ本質的な論点がある。

異なる声も真摯に受け止めてこそ

機関紙報道では、赤本・青本学習が好意的に受け入れられていると高く評価している。しかし、党員や支持者、あるいはそれに近い人々の評価を聞いて自画自賛するのではなく、選挙総括と同様に、党内外の声を踏まえて客観的に検証する姿勢こそ求められているのではないか。

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