ピーター・ヒューディスによる本章は、マルクスの組織論を、20世紀に主流化したレーニン主義的な「前衛党」モデルとは区別して再検討する内容となっている。
カール・マルクスは、生涯を通じて革命組織に深く関わったが、体系的な「組織論」を著作として残したわけではない。そのため、後世のマルクス主義運動では、中央集権的な党組織を重視するレーニン主義的理解が「マルクス主義の組織論」として広く受け入れられてきた。
しかし本章は、マルクス自身の原典や実践をたどることで、それとはかなり異なる組織観が存在していたことを明らかにしている。
「外からの注入」を拒む自己解放の思想
本章が強調する最も重要な点は、マルクスが、労働者の解放を「外部エリートによる指導」の問題として考えていなかったことである。
ラッサールからレーニンへとつながる組織論では、知識人が「科学」を担い、自力では十分な社会主義意識を持てない労働者に対し、それを「外から注入する」という考え方が重視された。その結果として、中央集権的な党組織や指導部の役割が強調されることになる。
しかし、本章で描かれるマルクスは異なる。マルクスにとって理論家の役割とは、「外から計画を押しつける」ことではなく、現実の運動の「自己運動」を把握し、「世界をしてその意識を自覚させる」ことにあった。つまり、解放とは、労働者自身の自己解放でなければならないのである。
この点は、日本共産党との比較でも興味深い。日本共産党は現在、「前衛党」という表現は前面には出していない。しかし、組織原則としては「民主集中制」を維持しており、中央委員会の決定を全党が統一的に実践する仕組みをとっている。
もちろん、日本共産党はこれを「民主的討議を前提とした統一行動」と説明している。しかし、本章で描かれるマルクスの組織観――とりわけ「労働者に自分の足で歩くことを教える」という発想――と比較すると、なお中央主導型の性格を強く残しているようにも見える。
パリ・コミューンと「脱中心化された民主主義」
本章で、マルクスが最も高く評価した政治形態として描かれるのが、1871年のパリ・コミューンである。コミューンは、中央集権的国家機構をそのまま利用するのではなく、それを解体し、「自由にアソーシエイトした人々」による自治を目指した。本章は、これを「脱中心的で民主的な統制」の試みとして位置づけている。
重要なのは、マルクスがコミューンの敗北について、「中央集権的前衛党が存在しなかったから失敗した」とは考えなかった点である。むしろ彼は、特定の党による権力独占なしに行われた「生産者の自治」に、革命の新しい政治形態を見ていた。
この点も、日本共産党との違いとして読むことができる。日本共産党は議会制民主主義を重視し、選挙による多数派形成を通じた「多数者革命」を掲げている。その意味では、国家権力の民主的掌握を重視する路線である。
これに対し、本章で描かれるマルクスは、既存国家の中央集権的構造を強化するよりも、社会そのものが国家を従属させていくような「アソシエーション」の形成を重視している。
したがって、組織規律と中央統一を重視する政党モデルと、「脱中心化された民主主義」を重視するコミューン的発想との間には、組織哲学の相違が存在しているように見える。
「党」は自己目的ではなく、歴史的運動の表現である
本章で繰り返し強調されるのは、マルクスにとって「党」とは固定的組織を絶対視するものではなかった、という点である。
マルクスは、特定の組織が歴史的役割を終えれば、その解散もいとわなかった。彼にとって重要なのは、組織そのものではなく、そこに体現される歴史的運動と理念だった。本章の表現を用いれば、党とは「歴史的客観性を示した理念をもとに現実に介入する形態」である。
したがって、組織が単なる動員装置や自己保存的セクトになることは、マルクスの立場からすれば本来的ではない。組織の存在意義は、資本主義への批判と、その先にある社会像を理論的に提示できるかどうかにかかっている。
もっとも、本章は同時に、「党そのものが未来社会の萌芽である」という考え方もマルクスは否定していたと指摘している。この点は重要である。
日本共産党もまた、ソ連型体制を「マルクス主義の歪曲」と批判し、「自由な個人のアソシエーション」を将来社会の理念として掲げている。この理念水準では、本章のマルクス理解と共通する部分も少なくない。しかし現実の組織運営を見ると、政党組織そのものの維持・統一・拡大が強く重視される傾向も存在する。
その意味で、本章は現代の左翼運動に対し、「組織が存在していること」自体ではなく、その組織が未来社会の構想をどこまで具体的に発展させられているのか、という問題を改めて問い直しているように思われる。
結びに代えて
本章は、マルクスを単なる「強力な党建設論者」としてではなく、「労働者階級の自己解放と自律性を徹底して重視した思想家」として描き直している。そこでは、中央集権的前衛党よりも、自己組織化、自治、アソシエーション、そして理論と実践の統一が重視されている。
こうした視点は、日本共産党を含む現代左翼の組織論を再検討する上でも重要な示唆を与えていると言えるだろう。

