はじめに
2026年7月6日、選挙ドットコムのYouTube番組「70分で完全に理解できる『共産主義』」が公開された。日本共産党の志位和夫議長が、鈴木邦和編集長から、旧ソ連や中国の問題、産業競争力、計画経済、イノベーション、生産手段の社会化などについて質問を受けた番組である。7月8日付『しんぶん赤旗』は、その内容を「70分で『共産主義』がよくわかる」と紹介した。
しかし、番組で提起されたのは、社会主義・共産主義をめぐって長年議論されてきた重要な問題である。70分の対談ですべてが解決したと評価できるものではない。
志位氏の回答がすべて事実に反しているわけではない。個々の説明には妥当な内容も含まれている。問題は、限定された事実や可能性を示した後、それをより広い結論に拡張し、質問の一部に答えることで、答えていない制度上の問題まで解決したかのように扱うところにある。
1. 旧ソ連と中国の問題は「遅れた国から始まった」ことで説明できるか
志位氏は、旧ソ連や中国について、高度な生産力、経済を社会的に規制・管理する仕組み、生活と権利を守る制度、自由と民主主義、豊かな個性という「5つの要素」が弱いところから革命が始まったと説明した。
同時に、旧ソ連については「指導者の誤った政治」も非常に大きな要因だったと述べ、スターリンによる農業集団化や大量弾圧にも言及している。問題はその先である。
志位氏は、ロシアや中国には議会制民主主義の経験や、それを自ら守る国民的経験が乏しかったと説明したうえで、「日本はこっから進むわけですから。だからああいう社会に絶対なりようがないんです」と断言した。さらに、「発達した資本主義国から社会主義の道に踏み出した経験っていうのは、人類は1つもないです」と述べている。
ロシアや中国の後進的な経済・社会条件が、強制的な資源動員や中央集権化を生みやすくしたことは否定できない。また、日本に高度な産業基盤や民主主義の制度が存在することは、異なる社会主義を構想するうえで有利な条件になりうる。しかし、有利な条件があることと、失敗が絶対に起こらないことは同じではない。
旧ソ連の問題には、指導者個人の誤りだけでなく、その誤りを批判し、交代させ、政策を修正できなかった制度の問題がある。一党支配のもとで政治的対抗勢力や自由な報道が抑えられれば、指導者の判断が誤っていても、それを止めることは困難になる。
経済面でも、計画主体や国有銀行が赤字企業を救済し続けると、企業が費用や需要に十分反応しなくなる「ソフトな予算制約」が生じる。コルナイらの研究は、この問題が価格への反応を弱め、効率低下や過剰需要をもたらしうることを示している。
問われるべきなのは、後進国だったか先進国だったかだけではない。政権交代をどう保障するのか。政策批判や報道の自由をどう守るのか。政府、政党、企業経営者への権力集中をどう防ぐのか。誤った計画を誰が、どのような手続きで修正するのか。
これらの制度が示されないまま、「日本は絶対にああいう社会にならない」と断定することはできない。さらに、人類に前例がないというのであれば、成功が確認された前例もない。前例の不存在から導かれるのは、安全の保証ではなく、不確実性の存在である。
この部分で志位氏は、「日本には有利な条件がある」という限定された命題から、「日本では旧ソ連型の失敗は絶対に起こらない」という保証へ進んでいる。ここに最初の論理的飛躍がある。
2. 工場法とドイツの例で、社会主義の競争力を説明できるか
鈴木氏は、利潤第一主義を抑えれば、他の資本主義国との競争に負けるのではないかと質問した。これは単なる長時間労働の是非ではない。利潤を経済活動の中心目的としない社会で、投資、技術革新、価格競争、国際貿易をどのように維持するのかという質問である。
これに対して志位氏は、「それはそうならない」と答え、19世紀イギリスの工場法と、現在のドイツの短時間労働を例に挙げた。そして、利潤第一主義を抑えることは競争力を弱めるどころか、プラスに働くと結論づけた。
工場法をめぐる事実誤認
志位氏は、「1848年から50年に最初の工場立法ができた」と述べ、それを10時間労働制として説明した。しかし、イギリスで最初の工場立法とされるのは、1802年の「徒弟の健康および道徳法」である。10時間法は1847年に成立し、直接の対象は女性と13歳から18歳の若年者だった。したがって、「1848~50年に最初の工場立法が成立した」という説明は正確ではない。
より重要なのは因果関係である。志位氏は、労働時間を短縮したことで労働者が肉体的・精神的に回復し、その結果、イギリスで「空前の繁栄」が始まったと説明している。労働時間規制の後もイギリス産業が発展したことは、労働者保護によって産業が必ず崩壊するわけではないことを示している。
しかし、工場法成立後に経済が発展したという前後関係だけで、工場法が繁栄を生み出したと証明することはできない。当時の経済発展には、機械化、設備投資、鉄道、貿易、市場拡大など、多くの要因が関係していた。工場法の効果だけで「空前の繁栄」を説明するのは単純化である。
ドイツの数値にも注意が必要である
志位氏は、ドイツの年間労働時間は日本より270時間短く、労働生産性は46%高いと述べた。その際、労働生産性を「労働者1人当たりのGDP」と説明している。しかし、短時間労働と効率の関係を見る場合に通常用いられる指標は、労働者1人当たりではなく「労働1時間当たりのGDP」である。OECDも、GDPを総労働時間で割った値を労働生産性の指標としている。
両者は異なる指標であり、混同してはならない。また、ドイツの時間当たり生産性が日本より高いとしても、それだけで労働時間短縮が生産性向上の原因だったとは証明できない。産業構造、設備投資、技能など、ほかの要因も検討する必要がある。
また、OECDは、年間労働時間の統計について、各国で資料や計算方法が異なるため、特定年の水準を単純に国際比較する用途には適さないと注意している。パートタイム労働者の割合なども平均値に影響するため、「週35時間が普通」「残業もない」と一括して説明することはできない。
工場法とドイツの事例から確認できるのは、労働時間短縮や労働者保護は、競争力と必ずしも矛盾しないということである。しかし、それだけでは、利潤原理を経済全体で弱めても、投資や国際競争に問題は生じないとは結論できない。
資本主義の内部で労働規制が可能であることと、社会主義経済全体の競争力が保証されることは別の問題である。
3. 大銀行の帳簿は計画経済の実現可能性を証明するか
鈴木氏は、「この計画的な経済っていうのは、本当に実現可能なのか」と質問した。
これに対して志位氏は、大銀行の帳簿を集めれば、その国の生産手段がどのように配分されているかがすぐに分かり、それを新しい社会での計画的運営の「テコ」にできると答えた。そして、資本主義のなかで発達した信用制度や銀行制度を利用する考えだから「とっても合理的」だと述べた。
銀行や信用制度が、社会全体の資金の流れを把握し、投資を社会的な目的に誘導するための重要な手段になることは事実である。日本銀行の資金循環統計も、金融機関、企業、家計などが保有する金融資産と負債、その増減を金融商品別に記録している。
しかし、銀行帳簿が示すのは、主として金融上の債権、債務、貸出、資金移動である。それだけでは、工場や機械の実際の能力、原材料や部品の在庫、労働者の技能、製品の品質、地域ごとの需要、新しい技術の可能性までは分からない。
産業間でどの財やサービスが売買されているかを把握するには、銀行帳簿とは別に、産業連関表や供給・使用表が必要になる。OECDの産業連関表は産業間の販売・購入関係を示し、供給・使用表は財やサービスの生産元と、消費・投資・輸出などの使途を示している。
さらに、現在の配分を把握することと、将来の望ましい配分を決めることは同じではない。医療、住宅、介護、半導体、エネルギー、防災のどこに、どれだけの資源を配分するのかは、銀行帳簿から自動的には導かれない。そこには社会的優先順位、将来需要、環境負荷、費用、技術的可能性についての判断が必要になる。
志位氏は、銀行制度だけで計画経済全体を運営できるとまでは述べていない。しかし、質問は「計画的な経済は本当に実現可能なのか」であった。銀行制度が一つの手段になると説明しただけでは、質問全体への回答にはならない。
また、志位氏は別の箇所で、生産手段を社会化すれば、「社会的理性が最初から働く計画的な経済運営」が可能になると述べている。所有を社会化すれば、社会的に正しい判断が自動的に行われるわけではない。社会的所有のもとでも、情報不足、政治的判断の誤り、官僚組織の利害、赤字事業の温存は起こりうる。
ここでは、銀行制度を計画に利用できるという可能性から、計画的な経済は合理的に運営できるという結論へ進んでいる。これも、手段の一部を示すことで制度全体の実現可能性に答えたことにする論理の飛躍である。
4. 利潤がなくなればイノベーションは発展するのか
鈴木氏は、利潤が技術革新の強い動機になっているとして、共産主義社会でもイノベーションが起こるのかと質問した。志位氏は、利潤第一主義から来るイノベーションより、純粋な科学的探究から来るイノベーションの力が増すのではないかと答えた。また、すべての人が自由時間と教育機会を持ち、潜在能力を発揮できるようになれば、科学技術はまったく新しい次元で発展すると思うと述べた。
これは否定できない可能性である。基礎研究や公的研究では、直接的な利益以外にも、好奇心、社会的使命、専門家としての評価が研究の動機になる。教育機会が広がれば、現在は能力を発揮できていない人が科学技術に参加する可能性も高まる。
しかし、志位氏の回答は、実証された事実ではなく、将来についての楽観的な予測である。イノベーションには、研究時間だけでなく、研究資金の配分、複数の研究計画の並立、失敗を許容する制度、権威ある方針への批判、成果の評価、利用者からの反応が必要になる。利潤の圧力から解放されれば研究が自由になる可能性がある一方、国家や計画機関が研究資金を集中的に管理すれば、政治的に優先された研究だけが残る危険もある。
問われているのは、人間に知的好奇心があるかどうかではない。多様な研究をどのように選び、支え、評価し、失敗した計画を中止するのかという制度である。志位氏の回答は、イノベーションの動機について一つの可能性を示したが、その制度には答えていない。
5. 所有を社会化すれば「みんなの利益」が実現するのか
志位氏は、生産手段の「管理、運営」は資本主義のもとでも社会的に規制できるが、「所有」を変えるには大きな社会変革が必要だと説明している。また、国有化だけでなく、労働者協同組合などの共同所有も有力な形態になりうると述べている。
一方、「最後に所有だけが残る」という説明は単純である。所有者は通常、経営者を選び、投資先を決め、利益を受け取り、資産を売却し、損失を負担する。所有と管理・運営は完全に切り離せるものではない。
さらに志位氏は、富をみんなで所有するようになれば、生産目的は個人のもうけから「みんなの利益」に変わり、社会的理性が最初から働くと説明している。
しかし、「みんなの利益」は一つではない。雇用を守りたい労働者、価格を下げてほしい消費者、環境負荷を減らしたい地域住民、将来世代のために投資を抑えたい市民の利害は衝突しうる。
共同所有にすれば、これらの対立が消えるわけではない。誰が意思決定に参加し、異なる利害をどのように調整するのかが必要になる。
所有を変えることは重要でありうる。しかし、所有の社会化から、社会全体の利益や正しい判断が自動的に生まれるわけではない。
6. 「労働者階級が政権を取る」はマルクスの思想を正確に伝えているか
志位氏は、労働者協同組合が社会全体に広がり、「調和した一体系」になれば社会主義になると説明した。そして、「労働者階級が政権取んなくちゃいけない」「権力を取って、その権力を正しく行使して」「労働者階級がちゃんと政権を握んないといけない」と繰り返した。
この発言には、マルクスの原文上の根拠がある。マルクスは1866年の第1インターナショナルの文書で、個々の労働者がつくる小規模な協同組合だけでは資本主義社会を変革できないと述べた。そして、社会的生産を「自由で協同的な労働の一つの大きな調和した体系」に転換するには、国家権力を資本家と地主から生産者自身へ移す必要があると論じている。
したがって、協同的生産の社会的拡大には政治権力の変革が必要だという志位氏の説明は、基本的に正しい。しかし、「国家権力を生産者自身へ移す」ことと、「労働者階級が政権を取る」ことは完全に同じではない。
現実に政権を構成するのは、階級そのものではなく政党や政党連合である。そのため、「労働者階級が政権を取る」という表現は、実際には「労働者階級を政治的に代表する党が政権を取る」という構図に接続しやすい。
さらに、「権力を正しく行使する」という説明には、重要な問いが残る。誰が正しい行使かどうかを判断するのか。政権を担う党が誤った場合、誰が止めるのか。党と労働者・市民の意思が異なった場合、どのように修正するのか。
権力が正しく使われることを前提にしてはならない。必要なのは、権力が誤って使われる可能性を前提にした監視、異議申立て、交代の仕組みである。
7. アソシエーションから、党・政権・国家の図式への置き換え
『マルクス・リバイバル』の政治組織論では、マルクスのいう「党」は、単なる国家権力獲得の装置としては捉えられていない。理念をもって現実に介入する、より広い政治的組織として説明されている。
マルクスの協同組合論でも、変革の主体は「生産者自身」である。労働者や市民が、自ら協同組合、労働組合、地域組織、社会運動、政治組織をつくり、それらを連合させていくアソシエーションが中心になる。
この構図では、政党は不要ではない。しかし、社会運動の外部から正しい理論を教え、運動を指導する特権的主体ではない。生産者や市民の自己組織化から生まれる政治的組織の一つである。
これに対して、労働者階級→労働者階級を代表する党→政権獲得→国家権力による社会変革、という構図では、社会変革の中心がアソシエーションから党と国家へ移る。
日本共産党は2000年の規約改定で「前衛政党」という表現を削除した。しかし党自身は、「不屈の先進的な役割」という特質は引き継いだと説明している。
現行規約でも、日本共産党は「日本の労働者階級の党」であり、「科学的社会主義」を理論的基礎とし、日本社会で「不屈の先進的な役割」を果たす党と規定されている。また、民主集中制を組織原則とし、分派を禁止し、決定に同意できない党員にもその実行を求め、決定に反する意見を勝手に党外へ発表しないことを定めている。
したがって、日本共産党が現在も規約上「前衛党」であると断定するのは正確ではない。しかし、党が科学的理論を持つ→中央指導部が情勢と理論を統一的に解釈する→党員が決定を統一して実行する→党が国民多数を政権獲得へ導く、という前衛党的な機能と組織文化が残っているのではないかという問題は成立する。
この観点から見ると、「労働者階級が政権を取る」という志位氏の表現は、単なる平易な言い換えではない。マルクスの自己解放とアソシエーションの思想を、階級、党、政権、国家による変革という日本共産党の従来の政治図式に引き寄せる働きを持っている。
アソシエーションを未来社会の原理として重視するのであれば、党自身もまた、多様な意見、横断的な結合、公開された異論、指導部の交代可能性を保障する必要がある。
未来社会では自由な生産者の自主的な結合を掲げながら、現在の党組織では少数意見の継続的な組織化や党外での発表を制限するなら、目的と手段の間に矛盾が生じる。
8. 「青写真を書かない」ことと安全を断言することの矛盾
志位氏は、将来の所有形態について、協同組合も国有もありうると述べながら、「先のことですから、あまり青写真を書かない」とも説明している。未来社会の細部を現在の世代が決めつけないという姿勢には合理性がある。しかし、具体的な制度を示さないのであれば、その制度が安全で合理的に運営されると断言することもできない。
志位氏の説明には、次の組み合わせがある。
「具体的な形態は将来の世代が決めるので、青写真は書かない。しかし、日本は旧ソ連のような社会には絶対にならない」
「銀行制度を活用するので計画的運営は合理的である」
「社会的所有になれば社会的理性が最初から働く」
制度の詳細を留保しながら、制度の結果については強く保証している。本来必要なのは、完成した未来社会の設計図ではない。少なくとも、権力集中を防ぎ、異論を保障し、失敗を発見し、政策と政権を交代させる基本的な仕組みを示すことである。
9. 赤旗記事は何を紹介し、何を省いたのか
赤旗記事は動画内容をかなり詳しく紹介している。したがって、志位氏の発言を確認する資料として引用することは可能である。一方、記事は発言の問題点を検証する記事ではなく、番組と「青本」を肯定的に紹介する記事である。
記事は、
- 日本は旧ソ連のような社会になりようがない
- 工場法によってイギリスの大繁栄が始まった
- ドイツは短時間労働でも高い生産性を実現している
- 銀行制度を活用するので計画的運営は合理的である
- 労働者階級が政権を取る必要がある
という志位氏の説明を、反論や留保を加えず紹介している。そして最後に、鈴木氏の「全部お答えいただいた」という評価を掲載している。
しかし実際には、質問の中心部分は残されている。
高度な生産力がなぜ権力集中を防ぐのか。市場、価格、計画をどう組み合わせるのか。需要や現場の知識をどう集めるのか。失敗した企業や政策をどう終了させるのか。政権を握った党を誰が監視するのか。共同所有のもとで異なる利害をどう調整するのか。
これらは、工場法、ドイツの労働時間、大銀行の帳簿、科学者の好奇心を示すだけでは解決しない。
おわりに
志位氏の説明には、それぞれ一定の根拠がある。問題は、個々の事実や可能性を示すことによって、社会主義・共産主義をめぐる制度上の問題まで解決したかのように扱っていることである。
労働時間の短縮が競争力と両立しうること、銀行制度が資金配分の手段になりうること、協同組合が資本家によらない生産の可能性を示していることは、いずれも重要である。しかし、それだけでは、市場と計画をどう組み合わせるのか、異なる利害をどう調整するのか、政策の誤りをどう発見し修正するのか、集中した権力を誰が監視するのかという問題には答えられない。
未来社会について完成した設計図を示す必要はない。しかし、具体的な制度を将来の選択に委ねるのであれば、その結果について「絶対に失敗しない」「社会的理性が働く」と断言することもできない。必要なのは、権力や計画が誤る可能性を前提とし、異論、批判、情報公開、政策修正、政権交代を保障する基本的な仕組みを示すことである。
また、自己解放とアソシエーションを未来社会の原理とするのであれば、その原理は現在の党組織にも適用されなければならない。党が社会運動を指導する関係から、社会運動と対等に理論や方針を形成する関係へ移れるのか。党内の異論を一時的な意見ではなく、継続的な知的資源として保障できるのか。中央指導部を党員と社会が検証し、必要なら交代させられるのか。
ここに、未来社会論だけでは終わらない、日本共産党の体質的、体制的、組織的な課題がある

