ポストンのマルクス再解釈と日本共産党の理論的課題
はじめに
技術は発達し、生産性は大きく向上した。以前より少ない労働で、多くの物やサービスを生産できるようになっている。それにもかかわらず、労働時間は大幅には短くなっていない。
なぜ、生産性の向上が自由な時間の拡大に結びつかないのか。ポストンは、マルクスの「価値」「労働」「時間」「資本」を読み直し、この問題を考察している。
本稿では、第9章の中心的内容を紹介し、日本共産党の未来社会論との違いと、理論更新の課題を検討する。
1.資本主義は「資本家がもうける社会」だけではない
資本主義は一般に、資本家が生産手段を所有し、労働者が生み出した利益を取得する社会として説明される。生産が人間の必要ではなく利潤を目的として行われるため、搾取、格差、貧困、失業などが生じるという理解である。
ポストンは、これを否定しているわけではない。しかし、それだけでは、資本主義がなぜ生産性を高め続け、成長を止められないのかを十分に説明できないと考える。ポストンが重視するのは、資本が単なる金銭や工場ではなく、「自己増殖する価値」であるという点である。
企業は、投じた資金をより多くの資金として回収し、再び投資しなければならない。利益を上げ、生産性を高めなければ、競争から脱落する。この圧力は、個々の資本家の性格ではなく、資本主義の構造から生じる。
ポストンは、資本を階級的搾取の関係としてだけでなく、社会全体を一定の方向へ動かす、歴史的に特殊な社会関係として捉える。資本主義における支配は、特定の支配者による命令だけでなく、価値、労働時間、生産性という基準を通じても働くのである。
2.ポストンのいう「価値」とは何か
ここでいう「価値」は、商品の値段や有用性ではない。
人間に役立つ物やサービスを、マルクスは「使用価値」として捉えた。食料、住宅、医療、交通、教育などは、人間の必要を満たす物質的・社会的な富である。
これに対して、ポストンがマルクスに即して捉える「価値」とは、抽象的労働によって成立し、その大きさが商品の生産に社会的に必要な労働時間によって規定される、資本主義に固有の富の形態である。
「抽象的労働」とは、内容の異なる具体的な労働が、商品交換を通じて、同質な人間労働として社会的に扱われる側面を指す。資本主義では、人びとの労働が、労働時間という共通の尺度を通じて結びつけられる。
したがって、「物質的な富」と「価値」は同じではない。生産性が上がれば、同じ時間でより多くの商品を生産できる。しかし、社会全体の生産性が上昇しても、単位時間当たりの価値量は増えない。この区別が、ポストンの時間論の基礎となる。
3.なぜ生産性が向上しても自由時間は増えないのか
ある企業が新しい技術を導入し、他社より短い時間で商品を生産できるようになったとする。その企業は、一時的に大きな利益を得られる。しかし、その技術が他の企業にも普及すると、その生産性が社会の標準になる。それまでと同じ生産方法を続けている企業は競争で不利になる。
その結果、すべての企業が、さらに新しい技術を導入し、生産性を高めなければならなくなる。生産性の向上が一般化すると、それは自由時間の増加ではなく、新しい生産基準になる。
社会全体は、再び生産性を高めることを求められる。ポストンは、これを「トレッドミル」的な動きとして捉える。生産性の向上は自由時間の増加ではなく、新しい生産基準となり、さらなる生産性向上を必要にする。
その結果、労働を減らせる技術が、労働時間の短縮ではなく、失業、人員削減、労働強化につながることがある。企業は生産を拡大し、新しい市場と需要を求めるため、資源とエネルギーの消費も増える。
第9章は、環境悪化と「労働社会」の危機を、価値増殖と生産性向上を続けなければならない同じ構造から生じる問題として捉える。資本主義は、労働を減らす能力を生み出しながら、その成果をすべての人の自由時間に転換できない社会なのである。
4.問題は労働時間の長さだけではない
ポストンが問題にするのは、単なる長時間労働ではない。資本主義社会では、労働、生産、賃金、効率、成長が、均一な時間によって測定される。人間の必要よりも、一定時間にどれだけ生産したかが重視される。
企業が労働時間の短縮を望んでも、競争に負ければ経営を続けられない。労働者も、生存に必要な所得を得るために、自らの労働力を売らなければならない。
この議論を社会のあり方にまで広げれば、自由とは余暇を少し増やすことだけではない。何を、どれだけ生産し、どの程度働くのか、技術によって生まれた時間をどう使うのかを、人びとが共同で決められることが必要になる。
5.「労働の解放」だけでは足りない
伝統的なマルクス主義では、資本主義の問題は、労働が資本家に支配され、その成果を資本家が取得することにあると考えられてきた。この理解では、社会主義は、生産手段を社会的に所有し、労働者が生産を管理する社会となる。
ポストンは、そこにも問題が残ると指摘する。資本主義における労働は、資本家に支配されているだけでなく、価値を生み、人びとの社会関係を成立させる役割を担っている。そのため、所有者を変えても、労働時間による評価、生産性向上の圧力、成長の強制が残れば、資本主義的な支配も残る可能性がある。
必要なのは、労働者が現在の労働を管理することだけではない。人びとが生存手段を得るために労働力を売り、社会関係と社会的な富が労働時間を通じて媒介される仕組みそのものを変えることである。
ポストンにとって解放とは、「労働の解放」だけでなく、「資本主義的労働からの解放」を含むのである。
6.第9章が『マルクス・リバイバル』で持つ意味
『マルクス・リバイバル』は、マルクスの文章から完成した回答を取り出す本ではない。マルクスの研究成果を手がかりに、現代社会の問題を検討している。第9章も、マルクスの価値論を繰り返すものではない。20世紀の経験、技術革新、環境危機、労働の不安定化などを踏まえ、資本という概念を再検討している。
ポストンは、マルクスの理論を、あらゆる時代に適用できる一般法則ではなく、資本主義という歴史的に特殊な社会を分析する理論として捉える。ただし、ポストンの理論も完成したものではない。需要、金融、国家、民主主義、ジェンダーなどについては、別の研究による補充が必要である。
第9章の意義は、新しい最終理論を示したことではなく、従来の資本主義理解と社会主義論だけでは説明できない問題を明確にしたことにある。
7.日本共産党の未来社会論
日本共産党は、社会主義・共産主義への変革の中心を「生産手段の社会化」に置いている。党綱領は、生産手段を社会の手に移し、経済の目的を利潤の増大から社会と人間の発展へ変えるとしている。
党は、社会化を単純な国有化とは捉えていない。協同組合や生産者主体の企業経営など複数の形態を想定し、具体的な形態は国民多数の合意によって決めるとしている。また、一党支配を否定し、民主主義と自由を未来社会の前提に置き、移行過程では市場経済も活用するとしている。
志位和夫氏は「共産主義と自由」の議論で、「自由に処分できる時間」を未来社会論の中心に置いた。搾取をなくし、自由な時間を拡大することで、人間の自由で全面的な発展を実現すると説明している。自由な時間を未来社会の基準として示したことには意義がある。
8.ポストンと志位理論の違い
しかし、志位氏の未来社会論では、自由な時間の拡大は、主として資本家による搾取の廃止と結びつけて説明される。生産手段を社会化し、利潤第一主義を克服することで、労働時間を短縮するという構図である。
これに対して、ポストンは、問題を私的所有と資本家による取得だけに限定しない。生産手段を社会化しても、商品、価値、賃金労働、労働時間による社会的媒介が存続すれば、成長と生産性向上を求める圧力も残りうる。
両者の理論的な焦点は大きく異なる。志位氏は、搾取によって奪われた自由時間を取り戻すことを重視する。ポストンは、労働時間と生産性が、人びとの意思から独立した強制力として働く仕組みそのものを批判する。
この違いから、日本共産党の未来社会論には、さらに検討すべき問題が浮かび上がる。
社会化された企業で、商品、貨幣、賃金労働、価値はどう変化するのか。生産性の向上を、生産拡大ではなく労働時間の短縮へどう結びつけるのか。市場を活用しながら、成長への依存をどう克服するのか。
問題は、生産手段の社会化という出発点と、人間の自由で全面的な発展という到達点をつなぐ説明が、なお十分に示されていないことである。
9.理論を更新する仕組みが必要である
不破哲三氏が説明したように、科学的社会主義は、現実社会を分析し、その内部に準備されている可能性を明らかにするものである。この立場に従えば、現実社会の変化と研究成果に応じて、理論を検証し、補充し、修正しなければならない。
しかし、現在の党の理論活動では、国際的な研究によって既存理論を再検討することよりも、指導部の著作を学習し、「世界観的確信」や「綱領的確信」を強めることが前面に出ている。問題は学習そのものではなく、指導部の解釈を、国際研究や異論によって検証する過程が見えにくいことである。
ポストンの価値・時間・労働論をはじめ、環境危機、ケアと社会的再生産、データやプラットフォームをめぐる研究は、日本共産党の既存理論の前提を問い直す可能性を持つ。
必要なのは、新しい理論指導者を待つことではない。党の公式見解と研究上の仮説を区別し、外部の研究者や異なる解釈を含めて、綱領や未来社会論を継続的に検討できる仕組みである。
おわりに
マルクスの研究を現代に生かすためには、その後の歴史と現在の社会を分析し、理論を検証し、必要に応じて修正しなければならない。ポストンの第9章は、生産手段の所有者を変えるだけでは解決しない問題として、労働時間や価値の増大が社会を支配する仕組みを検討する必要があることを示している。
日本共産党が社会主義・共産主義を現実の政治目標として掲げるなら、現在の理論を完成した到達点として普及するだけでは不十分である。現代資本主義の変化と国際的な研究に学び、自らの理論を公開的に検証し続ける必要がある。
マルクスに忠実であるとは、その結論を固定的に守ることではない。マルクスが行ったように、現実社会の研究を続けることである。
参考)時間・労働・支配: マルクス理論の新地平」モイシェ ポストン (著)



