本章についてはすでにノート③で投稿している。しかし、ノート⑪と同じ理由で再読した。それをふまえて再投稿することにした。
はじめに
本章は単なるマルクス思想の概説ではない。ムストは、20世紀に形成された教条的・固定的なマルクス像を見直し、21世紀の視点からマルクスを再発見しようとしている。
本稿では、各章の内容を整理しながら、ムストがそこでどのようなマルクス像を描いているのかを確認したい。
マルクスとエンゲルスの知的形成
ムストはまず、マルクスとエンゲルスの思想形成過程を振り返る。
マルクスは自由主義的な家庭環境のもとで育ち、哲学研究を通じて社会問題への関心を深めた。一方、エンゲルスは工場主の家庭に生まれながらも、マンチェスターで労働者の悲惨な生活実態を目の当たりにし、資本主義批判へと向かっていった。異なる背景を持つ二人は1844年末頃から、本格的な協働関係を築く。
ここでムストが描くのは、書斎に閉じこもった理論家ではなく、現実社会の矛盾と格闘しながら思想を形成していった実践的知識人としてのマルクスとエンゲルスである。
ヘーゲル哲学を乗り越える
青年期のマルクスはヘーゲル哲学の影響を強く受けた。しかし彼は、フォイエルバッハを評価しつつも、現実の社会変革へ向かわない哲学に限界を見た。
マルクスにとって哲学とは、世界を解釈するだけではなく、社会変革を促進する実践的理論でなければならなかった。
その結果、労働者階級を人間解放の主体として位置付ける立場へと進んでいく。 ムストはここに、純粋な哲学者から社会変革の理論家への転換を見る。
物質的生産と意識の諸形態
マルクスは、人間の思想や意識を社会的・物質的条件との関係で理解しようとした。そのため一般には「存在が意識を規定する」という命題で知られている。しかしムストが強調するのは、マルクスを単純な経済決定論者として理解してはならないという点である。
マルクス自身は、経済的発展と文化・思想・芸術の発展が常に一致するとは考えておらず、「不均等な発展」の可能性を認めていた。したがって、後に形成された機械的な経済還元論は、マルクス本来の方法とは異なる。
ムストはここで、柔軟で開かれた理論家としてのマルクスを評価している。
未完の傑作の起源
1840年代以降、マルクスの研究は哲学から経済学批判へと移っていく。ロンドン亡命後、彼は膨大な研究を積み重ね、『資本論』の執筆に取り組んだ。
1857年の金融恐慌は、その作業を加速させる契機となった。しかし『資本論』は当初構想された形では完成せず、多くの部分が未完のまま残された。
ムストが強調するのは、この未完性である。マルクスは完成された教義体系を残したのではなく、生涯にわたって研究と修正を続けた探究者だったのである。
資本主義を理解する
『資本論』においてマルクスは、資本主義の構造を分析した。資本主義は、生産手段を所有する資本家と、自らの労働力を売る以外に生きる手段を持たない労働者との関係に基づいている。その目的は使用価値の生産ではなく、交換価値の増殖、すなわち剰余価値の獲得である。
ムストが重視するのは、マルクスが資本主義を永遠の制度ではなく、歴史的に成立した特殊な社会形態として分析したことである。だからこそ資本主義は変革可能な制度として理解される。
人間と自然を食いつぶす経済システム
ムストは、近年注目されるマルクスのエコロジー的側面にも光を当てている。 マルクスは、資本主義が労働者を搾取するだけでなく、自然環境そのものを消耗させるシステムであることを指摘していた。
また、機械や技術の発展が必ずしも人間の自由を拡大するとは限らず、資本主義のもとでは主として剰余価値拡大の手段として利用されると論じた。その一方で、彼は「真の富」を自由時間に求めた。
ムストは、マルクスを単なる生産力主義者ではなく、人間の自由な発達と自然との共生を重視した思想家として再評価している。
グローバルな規模での自己解放
マルクスは理論研究だけでなく、国際労働者協会の活動にも深く関わった。彼にとって社会変革は、少数者による陰謀的蜂起でもなければ、既存体制との妥協による漸進的改良でもなかった。
重要なのは、人々自身による主体的な自己解放である。「労働者階級の解放は労働者階級自身によって獲得されなければならない」という原則は、その象徴的表現である。 ムストはここに、民主的な社会主義思想の核心を見ている。
周縁部の中心性
ムストは、マルクスが単線的歴史観の持ち主ではなかったことも強調する。
マルクスはイギリスなどの先進資本主義国だけでなく、アイルランド、中国、ロシアなど資本主義世界の周縁部にも注目した。特に晩年には、ロシアの農村共同体(オプシチナ)が新たな社会発展の可能性を持つことを検討していた。
ここでもムストは、固定的な歴史法則を説く思想家ではなく、現実の変化に応じて理論を発展させる柔軟な研究者としてマルクスを描いている。
共産主義社会のアウトライン
マルクスが構想した共産主義社会は、「自由な人々のアソシエーション」である。そこでは生産手段の共同管理を通じて、人々が自由に能力を発展させることが可能になる。
労働時間は短縮され、学習や創造、社会参加のための時間が拡大する。また女性解放や民族的・人種的差別の克服も、人間解放の重要な要素として位置付けられる。
ムストは、この構想が後世の官僚的・抑圧的な国家社会主義とは本質的に異なるものであったことを強調している。
ムストが描くマルクス像
本章を通じてムストは、マルクスを「教条主義者・経済決定論者・生産力至上主義者・権威主義的国家の理論家」としては描かなかった。
むしろ、マルクスを「批判的研究者、民主的な自己解放の理論家、エコロジーの先駆的思想家、個人の自由な発達を重視する社会主義者」として再評価している。
このマルクス像こそが、『マルクス・リバイバル』全体を貫く基本的視点であるように思われる。
日本共産党との関係をどう考えるか
ムストが描くマルクス像は、日本共産党の理論や実践とも重なる部分を持っている。資本主義批判、社会的平等の追求、民主主義の重視、環境問題への関心などはその代表例である。
しかし同時に、いくつかの論点では緊張関係も見えてくる。
第一に、「労働者階級の自己解放」という発想は、組織的統一や指導性とどのような関係に立つのかという問題を提起する。
第二に、ムストが強調する理論的柔軟性や不断の再検討という姿勢は、異論や理論的再検討をどこまで受け入れるのかという問題につながる。
第三に、周縁的主体や多様な社会運動を重視する視点は、「主体的条件」の中心を党組織に求める伝統的な前衛党論との関係を改めて問い直す契機にもなりうる。
本章は、現代の左派政党や社会運動が、自らの理論や組織のあり方を再検討するための重要な問題提起を含んでいるように思われる。