本論が投げかける根本的な問い
マルセル・ヴァン・デア・リンデンが執筆した『マルクス・リバイバル 第4章 プロレタリアート』は、刺激的で非常に興味深い論考だ。
それは、単にマルクスのプロレタリアート論を解説するのではなく、その再検討を通してマルクス論の問題点を指摘し、「今日の社会変革の主体とは誰なのか」という根本的な問いを提起している点にある。
排除から「包摂」への概念再構築
著者は、マルクスが革命主体として想定した「自由な賃金労働者」を中心とするプロレタリアート概念に対し、ルンペンプロレタリアートや奴隷労働者などが排除されていることを問題視する。
そして、現代資本主義においては、自由な賃労働だけでなく、強制労働や半自由労働、インフォーマル労働なども資本主義の不可欠な構成要素である以上、プロレタリアート概念をより広く包摂的なものへ再構築すべきだと主張する。
さらに、その先には労働価値説や剰余価値論の再検討の可能性まで示唆している。
日本共産党の伝統的枠組みと労働者内部の多様性
この問題提起は、日本共産党にとっても無関係ではない。党は現在、非正規雇用労働者、派遣労働者、フリーランス、外国人労働者、ケア労働従事者など、多様な「働く人々」との共同を重視している。
しかし理論的には依然として「労働者階級」「賃労働と資本」という伝統的枠組みが中心に据えられている。
また、「大企業優先の政治の是正」という主張も、理論上は大企業と大企業労働者を区別しているものの、現実には大企業で働く人々の一部に「自分たちが否定されている」という受け止めを生む可能性がある。
今日の労働者内部には、雇用形態や所得、生活条件、価値観の面で大きな多様性が存在しており、「働く人々」を一つの主体として語ることの難しさが増している。
その意味で、本章が提起しているのは「資本対労働」という構図の否定ではなく、「労働の側も一枚岩ではない」という現実を理論的にどう捉えるのかという問いである。
これは、今日の社会変革の主体をどのように構想するのかという、日本共産党にとっても避けて通れない論点につながっている。
理論の柔軟性と組織文化への問い
そして、この議論からさらに重要な問題が浮かび上がる。
それは、著者の
「マルクスのプロレタリアート論には大きな不整合があり、真剣に再考すべきだ。排除ではなく包摂に基づく、プロレタリアートの新たな概念化がなされなければならない」
という結論に賛成するかどうかではなく、このような理論的異論や再検討の提起そのものを、党がどのように受け止めるのかという問題である。
もし科学的社会主義が、現実の変化に即して理論を発展させる営みであるならば、国際的なマルクス研究の最前線で提起されているこうした論点は、少なくとも真剣な検討対象となるべきだろう。
逆に、それらが十分な議論の対象とならず、既存理論の枠組みの外に排除されるのであれば、党の理論的柔軟性や組織文化に対する疑問も生じうる。
本書が突きつける3つの示唆
したがって、本章から得られる最大の示唆は、ヴァン・デア・リンデンの理論を採用するか否かではなく、「今日の社会変革の主体とは誰なのか」「その主体をどのような理論で捉えるのか」、そして「そのような理論的再検討を自由に議論できる組織であるのか」という問いを改めて突きつけている点にあると言えるだろう。
