共産党研究 第Ⅵ部 理論はいかに形成されるべきか
はじめに
理論は、いったん確立すれば完成するものではない。社会が変わり、新しい事実が現れれば、それまでの認識を検証し、必要なら修正しなければならない。問題は、その修正がどのように起こるかである。
日本共産党は、科学的社会主義を「理論的な基礎」とし、党内では自由な討論が保障されていると説明している。現行規約にも、民主的な議論、多数決、意見の違いによる組織的排除の禁止が明記されている。
しかし、問題は、異論を言うことができるかではなく、異論が共有され、検討され、支持を得ながら、理論形成の中枢まで生き残れる構造になっているかである。
この観点から、現在の党運営の仕組み、それをめぐって繰り返されてきた論争、近年の具体的事例を検討し、最後に改革の方向を考えたい。
1 現在の党運営はどうなっているか
日本共産党の現行規約は、2000年の第22回党大会で大幅に改定された。
それ以前に使われていた「前衛」という表現を削除し、「民主主義的中央集権制」という表現もやめた。「上級・下級」という用語についても、「上下関係」を意味するものではないとして、できるだけ取り除いた。これは党自身が「党の組織と運営の民主主義的な性格をいっそう発展させた」改革と位置づけている。
しかし、「上級」という概念自体が消えたわけではない。現行規約第16条は、党組織には「上級の党機関の決定を実行する責任」があり、変更を求めても上級機関が実行を求めた場合には、意見を保留したまま実行すると定める。第17条も、全国的問題について党の全国方針に反する意見を個々の党員・組織が勝手に発表しないとしている。
組織は、規約第12条が定めるように、支部―地区―都道府県―中央という段階で構成される。党大会代議員もこの構造を通って選ばれる。支部が地区党会議の代議員を選び、地区党会議が都道府県党会議の代議員と地区委員会を選び、都道府県党会議が党大会代議員と都道府県委員会を選ぶ。さらに、それぞれの党会議の代議員選出方法と比率は、その段階の指導機関(委員会)が決める。
党大会は中央委員会を選出する。そして中央委員会が幹部会委員、幹部会委員長、副委員長、書記局長などを選び、幹部会が常任幹部会を選ぶ。つまり、一般党員が直接、党首や常任幹部会を選ぶ仕組みではない。
重要なのは、候補者の形成過程である。規約第13条は、選挙人が自由に候補者を推薦できることを保障する一方、「指導機関は、次期委員会を構成する候補者を推薦する」と規定している。実際、第29回党大会でも、現中央委員会が次期中央委員候補者名簿を作成して大会に推薦した。
さらに中央委員会の任務には、「幹部を系統的に育成し、全党的な立場で適切な配置と役割分担をおこなう」ことまで含まれている。都道府県、地区でも同様に幹部育成が規定されている。
もちろん、これだけで「中央がすべてを決めている」と結論することはできない。選挙もあり、候補者推薦の自由もある。しかし、ここには検討すべき構造がある。
2 異論は中枢まで生き残れるか
ある党員が、中央の方針とは異なる認識を持ったとする。その意見を自分の支部で述べることはできる。しかし、全国方針に反する意見を自由に社会へ発信することには制約がある。同じ問題意識を持つ他の支部の党員と横につながり、継続的に研究し、共同提案をつくろうとすれば、「党内に派閥・分派はつくらない」という規約との関係が問題になる。
さらに、支部から地区、地区から都道府県、都道府県から党大会へと進む過程では、何段階もの選出を経なければならない。そして指導機関の候補者については、現在の指導機関が次の指導機関の候補者を推薦し、日常的な幹部育成も現在の指導機関が担う。
ここから一つの仮説が成り立つ。異論が共有・熟成されにくい。横の連携がつくりにくい。多段階の選出を経る。現在の指導層が次の幹部を評価し、育成し、推薦する。その結果、意思決定層の認識が次の意思決定層にも継承されやすくなる。
問題は、露骨な「異論の排除」だけではない。むしろ長期的には、異論を排除する以前に、異なる認識を持つ人が中枢まで到達しにくくなり、中枢そのものから異論が生まれにくくなる組織形態になっているということである。
ここで重要なのが、「行動の統一」と「認識の統一」の区別である。政党が選挙や議会活動で決定に従って統一して行動することには合理性がある。しかし、決定した後も、その決定が正しかったのか、別の政策があり得たのかを考え続けることまで止める必要はない。行動を統一することと、認識まで統一することは同じではない。理論の発展に必要なのは、むしろ後者を統一しすぎないことである。
3 民主集中制はどのように批判され、党はどう答えてきたか
これは今に始まる議論ではない。1950年代、日本共産党は党分裂と武装闘争を経験した「50年問題」を経て、党の統一を回復した。党自身は、この経験から自主独立とともに民主集中制の重要性を学び、第7回・第8回大会を通じて現在につながる組織原則を形成したと説明している。
この歴史を無視して分派禁止だけを論じるのは公平ではない。実際、外国の党による干渉や党分裂を経験した組織にとって、統一と組織防衛が重大問題だったことは理解できる。しかし、その後は別の問題が生じた。
1972年には、党が「新日和見主義」と規定した問題が起こり、党内の異論、分派認定、調査や処分のあり方をめぐって、その後も論争が続いた。この事件を党内民主主義との関係から再検討する研究も存在する。
さらに重要なのが、1970年代末の田口富久治と不破哲三の論争である。田口は、先進国での社会主義と党内民主主義、多元性、前衛党のあり方を問題にした。それに対し、不破は1979年、『前衛』で「科学的社会主義か『多元主義』か」と題する大部の批判を発表した。田口も同年、「多元主義的社会主義と前衛党組織論――不破哲三氏の批判に答える」で再反論している。
ここで注目すべきなのは、論争が実際に『前衛』誌上で行われたことである。したがって、「日本共産党では異論を一切表明できなかった」と描くのは正確ではない。しかし、本稿の問いはその先にある。
田口のような異なる組織論が、一度発表されるだけでなく、党内の一つの理論潮流として継続し、支持者を形成し、その立場を保ったまま指導機関へ進み、将来の党理論に影響を与えることができたのか。ここを問わなければならない。
1970年代末には袴田里見の除名問題も大きな論争となり、その後、立花隆らも日本共産党の組織構造と民主集中制を批判した。党側もこれらに反論を続け、民主集中制はソ連型の専制的集中主義とは異なり、「自由な討論と統一した行動」を結びつける民主的原則だと説明してきた。そして東欧・ソ連崩壊後の議論を経て、2000年の規約改定に至る。
つまり、日本共産党が民主集中制への批判を無視して何も変えてこなかったわけではない。表現を改め、党員の権利を明記し、「意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」という規定も置いた。
そこで、現在問うべきなのは、何も変わらなかったのかではなく、何が変わり、何がなお残っているのかである。その問題の中心は、異論を個人の意見として認めることと、異論が共同化され、理論形成に参加できることとの違いにある。
4 現在、異論が現れたとき何が起きるのか
この問題は近年、党勢後退を機に、より顕在化してきた。
松竹伸幸氏の除名問題では、党は一貫して「異論を持ったから除名したのではない」と説明している。党側の説明では、問題とされたのは、党内で意見表明する権利を使わず党外から党を批判したこと、党首公選制などを公然と主張したこと、別の党員と出版時期を相談した「分派活動」などである。
この党側の説明は、本稿の問題をむしろ明確にしている。
党首公選を実現するには候補者間の競争が必要になる。党自身も、党首公選制を採れば候補者が支持を求める活動を行い、結果として派閥・分派を奨励することになるため、民主集中制と両立しないと説明している。
つまり、個人が党内で異論を持つことは認められても、その異論を公然と提示し、賛同者を増やし、別の選択肢として指導部を競うところまで進むと、現在の組織原則と衝突する。ここに問題の核心がある。
第29回党大会では、大山奈々子氏の発言に対する結語のあり方が党内外で議論になった。その後、大山氏自身も大会での対応について問題提起を続けた。さらに神奈川県委員会は2026年3月、大山氏を次期県議候補としなかった理由について、「党の決定に反する意見を党外に発信する行動を繰り返してきた」ことを挙げている。
これは重要な事例である。処分を受けなくても、異論の外部発信が、その後の候補者選定や組織内評価に結びつくことがあり得ることを示しているからである。
SNS時代には、この問題はさらに複雑になる。党員が互いにつながり、党外の研究者、支持者、有権者とも直接議論できる現在、「党の内部問題は党内で解決する」という原則を、情報流通そのものを党内に閉じる形で維持することは難しい。
しかも、幹部が特定の異論を「党攻撃」「分派」「支配勢力への屈服」などと強く位置づければ、それが一つの評価基準となり、SNS上で党員や支持者による一斉の批判を誘発することもある。正式な処分だけを見ていては、異論が萎縮する仕組みを捉えきれない。
書籍、SNS、記者会見、党大会、そして訴訟まで、党内の意見対立が党外に現れる事例が続いている。これは単に個々の人物の問題ではない。インターネット以前につくられた「内部」と「外部」の境界そのものが、現在の情報社会で成立するのかという問題でもある。

