執筆者:ボブ・ジェソップ(Bob Jessop、1946年生まれ)国家理論や政治経済学を専門とするイギリスの政治社会学者、ランカスター大学名誉教授。マルクスの国家論を継承しながら、国家を制度と社会的諸勢力の関係から分析する理論を発展させてきた。著書に『The Capitalist State』(1982年)、『State Theory』(1990年)、『State Power: A Strategic-Relational Approach』(2007年)などがある。
1.未完成のマルクス国家論
マルクスは国家について多くの分析を残したが、体系的な国家理論を完成させたわけではない。ボブ・ジェソップは『マルクス・リバイバル』第15章「国家」で、その断片性や曖昧さを指摘し、マルクスの国家分析を三つの視点から整理している。
第一は、支配階級の利益を維持する階級支配の道具としての国家。第二は、階級間の対立のなかで一定の独立性を持つ相対的に自律した国家。第三は、統治者と被統治者の分離を基礎とする社会から分離した政治権力としての国家である。
ジェソップは特に第三の視点を重視する。マルクスはパリ・コミューンの経験から、既存の国家機構を掌握するだけでは社会の解放を実現できないと考えた。ジェソップは、これを国家機構そのものの変革という問題につなげて読み解いている。
2.国家を社会関係として捉える
資本主義社会では、経済的な搾取と政治的な支配が制度上分離している。労働者と資本家は政治的には平等な市民であっても、経済的には異なる立場にある。
ジェソップは、近代国家の制度的形態と資本主義的生産様式との「形態的な適合性」を指摘し、国家を、制度を媒介とする社会的諸勢力の関係として捉える。これはマルクスの分析を踏まえたジェソップ自身の理論的再構成である。
この視点からすれば、普通選挙によって政治的平等が実現しても、経済的な支配関係は維持されうる。国家の変革には、政治権力の担い手だけでなく、制度と社会関係の変革が必要となる。
3.議会を通じた社会変革の課題
日本共産党は、国民多数の合意と国会の安定した過半数を基礎に、民主的改革から社会主義的変革へと進むことを展望している。2026年の綱領改定案でも、反対政党を含む政治活動の自由を保障し、特定政党の指導的特権を認めない立場を維持し、生産過程に残る支配・被支配の関係の克服も明記した。
しかし、議会多数派を形成して政府を掌握することと、国家機構そのものを変革することは同じではない。議会を通じた平和的変革はマルクスの国家論と必ずしも矛盾しないが、国家機構をどう変革し、国民の政治参加や社会的自治を発展させるのかという課題は残る。国家権力の獲得、国家機構の変革、国家の死滅を、どのように結びつけるのか。 ここが重要である。
4.国家の死滅をめぐる綱領改定
2026年10月12日に提出された日本共産党の綱領一部改定案は、国家の死滅に関する従来の規定を削除する。現行綱領は、「社会主義・共産主義社会が高度な発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき」、国家権力が不要になる共同社会への本格的な展望が開かれるとしていた。
志位和夫議長は提案報告で、この規定はレーニンの『国家と革命』に由来し、マルクスの立場ではないと説明した。マルクスは、資本主義から共産主義への過渡期が終われば、国家の死滅が始まると考えていたというのである。
しかし、マルクスは『ゴータ綱領批判』で、共産主義社会にどのような国家的機能が残るのかを問いとして提示したものの、国家の死滅過程を詳細に規定してはいない。一方、レーニンは『国家と革命』で、共産主義の低い段階にもブルジョア的権利と国家的強制が残ると論じたが、国家の死滅が進むことも認めている。
従来の綱領が述べていたのは、国家権力が不要になる共同社会への本格的な展望が開かれる条件であり、それ以前に死滅が始まる可能性を必ずしも否定していない。国家の死滅が始まることと、国家権力が完全に不要になることは同じではないのだ。
もっとも、志位氏は死滅の開始時期だけでなく、共産主義の低い段階に国家が存続するというレーニンの理解そのものを批判している。その是非はマルクスの原典に即して検証する必要がある。また、改定案は社会的な管理や政治的自由を重視しているが、国家的強制から自治的な社会運営へと、どのような条件のもとで移行するのかという問題は残る。
5.従来の理論をどう検証するのか
今回の改定では、日本共産党自身の理論形成の経緯も問われる。
2004年の綱領改定に際し、不破哲三氏はすでにレーニンの『国家と革命』におけるマルクス解釈を批判的に検討していた。そのうえで『新日本共産党綱領を読む』では、国家が不要になる社会への移行には、世代交替を含む人々の意識や習慣の変化が必要だと説明している。
志位氏自身も2022年の『新・綱領教室』で、国家の機能は次第に無用となり、長い時間をかけて社会から消滅すると説明していた。
第22回党大会七中総(2003年6月)にて綱領全面改定が提案された。討論の最後の段階で不破哲三議長は、発言にたち、討論のなかで提出された修正意見(文書での提出も含む)についての処理案を説明、つづいて、質問、意見について発言した。その中で「国家の死滅という見通しについて」も詳しく述べている。
その後、総選挙の時期をはさみ、約七カ月にわたって活発な全党討論がおこなわれた。支部会議、地区党会議、県党会議での討論の状況は、九回にわたって各都道府県委員会から報告がよせられた。一人ひとりの党員の個別の意見についても、討論誌への応募意見が五百六十七通にのぼったのをはじめ、全体で二千通近い意見、感想が党中央委員会によせられた。そして、第23回党大会(2004年1月)綱領改定についての報告が行われ、新綱領が採択された。
ところが2026年の提案報告では、従来の綱領の規定をレーニン由来の理論として削除するとしている。志位氏は2004年綱領に当時の理論的探究の「過渡的な制約」があったと説明するが、国家死滅論については、なお具体的な検証が必要である。
すでにレーニンの解釈を批判していた2004年に、なぜ今回削除する規定を採用したのか。不破氏が示した社会的条件のどこに問題があり、2022年まで説明してきた国家論の何が、その後の研究によって変わったのか。
理論の修正自体が問題なのではない。従来の理論を採用した理由と、その限界を明らかにすることが必要である。
ジェソップの研究が示すのは、マルクスの国家論を完成された教義として扱わず、現実の社会関係に照らして検証する姿勢である。今回の綱領改定でも、その姿勢こそが求められる。
参考文献・資料
- ボブ・ジェソップ「国家」(マルチェロ・ムスト編『マルクス・リバイバル』第15章、加藤雅俊訳)
- 日本共産党「綱領」および「綱領一部改定案」(2026年10月12日)
- 志位和夫「綱領一部改定案についての提案報告」(2026年10月12日)
- 不破哲三『新日本共産党綱領を読む』(2004年)、383~387ページ
- 志位和夫『新・綱領教室』(下)(2022年)、190~191ページ



