民主集中制の放棄はほんとうに党を解体に導くのか―資本主義批判の正しさだけで支持は広まらない―

平和と民主主義を掲げてきた日本共産党

日本共産党は、一貫して平和主義と民主主義を掲げてきた政党である。近年の新自由主義的政策のもとで、非正規雇用の拡大や社会保障不安が深刻化するなか、同党が資本主義の問題点を批判し続けていることには一定の説得力があり、その役割を評価する人は少なくない。しかし同時に、党の組織原理である「民主集中制」に関して、なお深刻な問題がある。

党と国家の間に生じる構造的矛盾

日本共産党は、民主集中制を「自由な討論と統一した行動」の原則とし、外部からの圧力や分裂を防ぎ、責任ある活動を行うために不可欠だと説明している。確かに組織に一定の統一性が必要なのは事実だが、同党の論理には構造的な矛盾がある。

党は「社会主義への変革後も、複数政党制や言論の自由という多元的民主主義を維持する」と説明している。しかし、国家の方が党内部よりも利害対立が大きく、外圧も深刻であるはずだ。もし「国家レベルでは多元主義を維持できる」とするのであれば、より小規模で、しかも基本的には理念を共有している党内部において、それが成立しないというのは筋が通らない。

逆に、「党内では外圧下での強い統制が必要」と考えるのであれば、その論理は国家レベルではさらに強く作用するはずだ。実際、20世紀の社会主義国家の多くは、「体制防衛」の論理から権力集中と言論統制へと進んでいった歴史がある。党が自らの民主集中制を「組織防衛」で正当化している以上、「自党は過去のスターリン主義とは違う」と主張しても、説得力には限界があると言わざるを得ない。

異論を許さない組織文化が招く有権者の不安

さらに深刻なのは、制度以上に、異論提示への心理的萎縮を生む組織文化だ。第29回党大会において、異論を述べた者に対し、指導部が一方的に、かつ公然と、人格批判とも受け取られかねない強い非難を行った。これでは「自由な討論」は実質的に機能しない。統一が過度に重視されると、政策の修正要求が建設的提案ではなく「組織防衛を脅かす攻撃」と見なされる危険があることを、この一件は証明している。

有権者が日本共産党の政権担当能力に不安を抱く最大の理由はここにあるのではないか。有権者は資本主義批判の正当性だけでなく、「それにとって代わる体制は本当に民主的に運営されるのか」を問うている。

民主主義国家の運営に不可欠な「反対意見の保障」や「柔軟な軌道修正」が、現在の党の組織文化のもとでは「体制の不安定化要因」として排除されるのではないかという疑念を、党自身が強めてしまっているのではないだろうか。

民主集中制の放棄は「解体」ではなく「再生」の条件

近年、米国DSAなど新しい左派勢力が伸長しており、党もそれらを高く評価してきた。このほど、党幹部が北米を訪問し、今後、彼らと連帯を持つことを表明した。しかしながら、彼らは多元主義、公開論争、柔軟な参加形態など、20世紀型共産党とは異なる開放的な組織文化を持っているのだ。

これは、今日の左派支持拡大が「資本主義への不満」であると同時に、「権威主義的左派からの脱却」を求めていることを示している。日本共産党が民主集中制を維持し続ける限りは、歴史的無謬性を前提とする独善的体制だと見られても仕方がないだろう。

日本社会において、平和主義や格差是正を継続的に掲げる左派勢力への期待は今もある。だからこそ、党の「全面否定」ではなく、「期待すると同時に改革を求め続ける」という声が少なくないのだ。

民主集中制の放棄は、決して党を解体に導くものではないだろう。日本共産党が真に支持を広げるためには、資本主義批判を繰り返すだけでなく、自らの組織原理と政治文化を民主主義の観点から根本的に再検討し、開放的な組織へと生まれ変わることにこそ、その将来がかかっていると言える。

そして、真の双方向・循環型の組織文化によってこそ、広く国民の支持を得ることができる理念や理論、政策目標や実践へのアップデートが図られ、党の改革も進んでいくことだろう。

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