『マルクス・リバイバル』読解ノート⑧ 巻末「解説」(斎藤幸平、佐々木隆治)――現代左派の危機と日本共産党

『マルクス・リバイバル』解説 に見る現代左派の危機と日本共産党

『マルクス・リバイバル』の巻末にある「解説」は、単なるマルクス紹介ではない。そこでは、現代世界を「資本主義システムの危機」と「それに対抗する運動そのものの危機」という二重の危機として捉え、そのなかで既存左派のヴィジョンそのものが行き詰まりつつあるという強い問題提起が行われている。そして、そこには日本共産党の現在の立場や組織原理、運動方針を考えるうえで重要な論点が数多く含まれている。

タイトルだけを見ると、一部のマルクス信者がマルクスを護教論的に復活させようとする試みだと思われるかもしれない、しかし、本書はそのような性格のものではない、論者によって色合いの違いはあるとはいえ、いずれも現在の21世紀の視点から、一つの古典としてのマルクス理論を捉え返し、MEGA2 (マルクス・エンゲルス全集)に代表される新資料も使いながら、そのアクチュアリティ、さらには欠落や限界について再考しようとするものである【「解説」より】

現代は「100年前型」の危機の時代である

まず解説は、現代を1920年代から30年代にかけての危機の時代と重ね合わせる。気候危機、戦争、巨大IT企業による支配、格差拡大、社会分断、権威主義の台頭などが、かつて世界恐慌とファシズムが拡大した時代に類似しているとされる。

この点は、日本共産党の現代資本主義認識とも一定程度重なる。日本共産党もまた、新自由主義や巨大資本による格差拡大、軍事的緊張、民主主義の危機を強く批判しているからである。

資本主義は「レント資本主義」へ変質している

しかし、この解説が特徴的なのは、現代の危機を単なる「資本主義の矛盾」ではなく、「資本蓄積そのものの行き詰まり」として捉えている点にある。そこでは、資本主義はもはや成長による統合能力を失い、「レント資本主義」へ移行しつつあるとされる。つまり、社会的富を新たに生産するよりも、人々の共有財産(コモン)を囲い込み、超過利潤(レント)を吸い上げる体制へ変質しているというのである。GAFAMによるデジタル領域の支配も、この文脈で理解される。

これは、日本共産党が比較的重視してきた「民主的改革による生活改善」や「ルールある経済社会」という構想に対して、一つの問いを投げかけているようにも見える。もし現代資本主義が、もはやフォーディズム体制(「米国=石油」蓄積体制)のような安定的成長を再建できない段階に入っているならば、「より公正な成長」だけでは危機を止められない可能性があるからである。

対抗運動(左派)そのものも危機に陥っている

さらに重要なのは、この解説が「対抗運動そのものの危機」を強調している点である。解説は、20世紀の左派は、一方では社会民主主義が体制内化し、他方ではロシア革命後の共産主義運動もスターリン主義へと保守化したという「二重の危機」を経験したと整理する。そして1968年以降には、それらを乗り越えようとして、反戦、フェミニズム、エコロジーなどの「新しい社会運動」が登場したとする。

ここで特に注目すべきなのは、解説が、現代左派の特徴として「民主集中制の上意下達による政治革命ではなく、水平的・分散的な社会変革」を重視する流れを肯定的に整理していることである。

この点は、日本共産党との大きな違いを浮かび上がらせる。日本共産党は、ソ連型社会主義を批判してきたとはいえ、組織原理としては依然として民主集中制を維持している。また、中央委員会を中心とした統一的路線形成を重視しており、党内における継続的潮流形成や組織的異論には慎重である。

しかし、この解説が肯定的に整理しているのは、むしろその逆方向である。つまり、多様な運動主体が水平的に連帯し、中央集権的前衛党モデルに依拠しない形で社会変革を構想する方向性である。もちろん解説は、その「新しい社会運動」のヴィジョンさえ現在では危機に陥っていると論じている。

しかし重要なのは、少なくとも解説が、「民主集中制的モデルへの回帰」を展望してはいないことである。むしろ、既存左派全体の限界を認識しながら、新たなヴィジョンを模索しようとしている。

デジタル資本主義は連帯を解体している

また、解説は、デジタル空間の問題を極めて重視している。巨大IT企業によるアルゴリズム支配が、人々の感情や欲望を操作し、コミュニケーション空間そのものを「レント収奪」の対象へ変えているというのである。

その結果、「新しい社会運動」はアカデミズム化・個人主義化し、インフルエンサー型の自己表現へと分散され、社会的連帯が弱体化している。原文では、コミュニケーション空間というコモン自体が侵食されていると論じられている。

この問題提起は、日本共産党が比較的十分に理論化できていない領域でもあるように見える。日本共産党はSNSを活用しているが、その分析は主として「デマ」「誹謗中傷」「フェイクニュース」などに重点が置かれがちである。しかしこの解説では、問題はもっと構造的であり、コミュニケーションそのものが資本に包摂され、個人化・断片化が進み、社会的連帯そのものが困難化していることが論じられている。これは、従来型の党組織や労働運動がなぜ広がりを失っているのかを考えるうえでも重要な視点である。

左派内部にも権威主義への誘惑が広がっている

さらに、この解説でもっとも特徴的なのは、「左派内部における権威主義への誘惑」を正面から論じている点である。気候危機への焦燥感から「戦時共産主義」的な強権国家を肯定する議論、中国やロシアの権威主義体制への共感、さらにはトランプ政権への部分的評価まで現れていることが指摘される。

著者はこうした方向性を支持しているわけではないが、レント資本主義によるコモン破壊と社会不安の増大が、「強い国家による一発逆転」を求める欲望を生み出している現実を重視している。

この点で、日本共産党は現在、議会制民主主義や立憲主義を重視しており、中国やロシアを社会主義国とは位置づけていないため、欧米の一部急進左派ほど権威主義へ接近しているわけではない。しかし他方で、日本共産党の組織文化には依然として中央集権的傾向が存在しており、異論や多様性への対応をめぐる問題が繰り返し指摘されてきたことも事実である。その意味では、この解説が提起する「権威主義への誘惑」の問題は、日本共産党に対しても無関係ではない

既存左派のヴィジョン自体が問い直されている

そして最後に、解説は、既存左派のヴィジョン全体が「賞味期限切れ」になりつつあるという厳しい認識を示す。それは、社会民主主義やスターリン主義だけでもなく、それを超克しようとした1968年以降の「水平的・分散的運動」そのものも再検討の対象にしている点である。

つまり、既存左派のヴィジョン全体が「賞味期限切れ」になりつつあり、新たな歴史的条件のもとで、危機を前提とした新しい社会変革の構想が必要になっている、という問題提起である。

結論──原理的思考の「武器」としてのマルクス

そのため著者は、流行理論や権威への依存ではなく、「原理的思考」への立ち返りを提唱する。ルクセンブルク、レーニン、コルシュらが歴史的危機のなかで古典を徹底的に読み直したように、現代においてもマルクスを批判的・原理的に再検討する必要があるとされる。

ここで重要なのは、マルクスを「護教すべき経典」としてではなく、危機の時代を考え抜くための「知的武器」として読むべきだという点である。本書『マルクス・リバイバル』は、そのための再読の手がかりとして位置づけられている。

この姿勢は、日本共産党の「科学的社会主義」理解とも一定の緊張関係を持つように見える。なぜなら、日本共産党は現在でも、自党の理論体系の整合性と継続性を比較的強く重視しているからである。しかしこの解説が示しているのは、むしろ既存体系そのものを批判的に問い直す必要性である。

したがって、この「解説」を日本共産党との関係で読むならば、そこから浮かび上がるのは単なる「資本主義批判」ではない。むしろ、「20世紀型左派の組織原理や運動ヴィジョンそのものを、危機の時代に耐えうる形へ再検討できるのか」という問いである。そして、その問いは、日本共産党に対しても例外なく向けられているように見えるのである。

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