共産党研究 第Ⅲ部④ 現代においてマルクスをどう読むか
はじめに
マルクスと『資本論』を、現代にどう読むのか。
斎藤幸平は、新マルクス=エンゲルス全集(MEGA)の編集に参加し、新たに公刊された研究ノートなども踏まえて、従来のマルクス像を読み直してきた。その研究は、気候危機という現代の問題へ向かい、さらに「脱成長コミュニズム」という未来社会の構想へと進む。
一方、日本共産党も、不破哲三らによる『資本論』研究や新版『資本論』を基礎に、志位和夫が「自由な時間」や「生産力の新しい質の発展」という未来社会論を展開している。
では、両者のマルクスの読み方には、どのような違いがあるのだろうか。
1 斎藤幸平――「未完のマルクス」を読む
『ゼロからの『資本論』』は、商品、労働、剰余価値、価値増殖など、『資本論』の基本的な分析を一般読者にわかりやすく説いた入門書である。
しかし、本書は、すでに確立された『資本論』解釈を紹介するだけではない。環境問題や未完に終わった『資本論』、社会主義、コミュニズムへと議論を広げ、マルクス自身が研究途上にあった問題や、新しい資料によって見えてきた論点にも目を向けている。
その背景にあるのがMEGA研究である。斎藤自身もMEGAの編集に携わり、現在もMEGAを刊行する国際マルクス=エンゲルス財団(IMES)の編集委員会に参加している。
ここには、マルクスを完成された理論体系としてではなく、研究を続け、その認識を変化させていた思想家として読む姿勢が見える。そして、新しい資料や研究によって、従来のマルクス理解そのものが再検討される可能性がある。
2 『人新世の「資本論」』――研究から未来社会の構想へ
斎藤自身の主張は、『人新世の「資本論」』に、より鮮明に現れる
斎藤は、気候危機を資本主義の際限のない価値増殖と結びつけ、晩期マルクスの自然科学や共同体についての研究を手がかりに、「脱成長コミュニズム」を提起する。同書の「おわりに」では、自ら「最新のマルクス研究の成果を踏まえて」気候危機と資本主義を分析したと述べている。
ただし、「晩期マルクス=脱成長コミュニスト」という理解が、MEGAから直接導かれるわけではない。斎藤自身もインタビューで、「マルクスは脱成長という言葉は使っていない」と明言している。新しい資料からマルクスの思想的変化を読み取り、それを「脱成長コミュニズム」と意味づけたのは斎藤自身である。
そして、それは完成した答えではなく、斎藤が現代の問題意識から提出した一つの未来社会論である。当然、その構想自体も研究と批判の対象となる。
3 日本共産党・志位和夫は『資本論』をどう読むのか
日本共産党にも、『資本論』を研究し直してきた歴史がある。
2019年から刊行された新版『資本論』では、新たに刊行された草稿やエンゲルスによる編集上の問題などを検討し、従来の訳を大幅に改訂した。不破は、その研究によって「マルクスの学説の到達点を鮮明にした」と説明している。
志位の近年の未来社会論も、こうした研究との連続性が強い。「自由な時間」をめぐる講義についても、不破や山口富男らの研究の「全体を踏まえて、若干の点を付け加えて」準備したと述べている。
ここで注目したいのは、その研究成果をどう位置づけるかである。
新しい研究によって得られた成果を一つの「理論的到達」として継承・発展させていくのか。それとも、さらに新しい資料や研究によって、その「到達」自体も繰り返し問い直していくのか。
この違いは、未来社会論をどのように形成するのかという問題にもつながってくる。
4 志位・斎藤対談が示したもの
2025年の志位と斎藤の対談では、その違いの一端が「脱成長コミュニズム」をめぐる議論に表れた。
志位は、社会主義・共産主義を「脱成長」の社会と捉える立場はとらず、「マルクスの考えでもないと思う」と述べた。その一方で、資本主義のような無制限な量的発展ではなく、未来社会では「生産力の新しい質の発展」が可能になると説明した。
これに対して斎藤は、無限の量的成長を手放し、質的な発展を重視するという意味では、自らの脱成長論と志位の説明は両立すると応じている。
両者を単純に「脱成長対成長」と対立させることはできない。むしろ問われるのは、その背後にあるマルクスの読み方ではないだろうか。
斎藤は、新しい資料から従来のマルクス像そのものを再検討し、その研究から自らの未来社会像を提示する。日本共産党は、不破らによる『資本論』研究の到達を基礎として、そこから未来社会論を継承・発展させている。
新しい研究成果が既存の理解と食い違ったとき、既存の理論そのものをどこまで再検討するのか。ここに、さらに検討すべき重要な問題がある。
おわりに
斎藤幸平の「脱成長コミュニズム」が正しいかどうかは、今後も研究と議論の対象である。しかし、斎藤の研究が示しているのは、マルクスを完成された答えとして読むのではなく、新しい資料から読み直し、現代の問題と結びつけ、そこから未来社会について一つの構想を提示するという方法である。
日本共産党も『資本論』研究を更新してきた。だからこそ問いたいのは、その研究の「到達」を継承・発展させるだけでなく、新しい研究や現実の変化によって、その到達自体を問い直す回路がどこまで開かれているのか、ということである。
未来社会についての理論もまた、完成した答えではなく、研究と実践のなかで検証され、更新され続ける必要があるのではないだろうか。
次回予告 第11回:現代においてマルクスをどう読むか この回も当初計画を変更。ムスト編著「マルクス・リバイバル」のムスト、ウッド、ポストンの三者の章を通して、マルクスリバイバルが示すマルクスの読み方と日本共産党を比較する。



