【連載第9回】白井聡が示す『資本論』への入口 ――資本家批判から資本主義システムの分析へ

理念・理論

共産党研究 第Ⅲ部③ 現代においてマルクスをどう読むか

はじめに

マルクスの中心的な仕事は、未来の共産主義社会を具体的に設計することではなかった。マルクスの最大の業績は、資本とは何か、資本主義社会とはどのような社会なのかを分析したことにある。『資本論』は、文字どおり「資本についての論」であって、共産主義社会の設計図ではない、と白井聡は強調する。

白井の『武器としての「資本論」』『今を生きる思想 マルクス 生を呑み込む資本主義』は、この視点から『資本論』を現代の読者へ紹介した2冊である。

前者は、『資本論』の偉大さが「ストレートに伝わる本」を書きたいという意図から執筆された入門書である。後者は、「資本主義がわれわれ自身にどう浸透するのか」という問題を通じて、白井がマルクス理論の最も重要な部分と考えるものを明らかにしようとした著作である。

本稿では、この2冊を手がかりに、白井がマルクスと『資本論』をどのように捉えているのか、その議論が現代社会を考えるうえでどのような意味を持つのかを見ていきたい。

1 『資本論』の偉大さを伝える

『武器としての「資本論」』は、『資本論』全巻の解説書ではない。商品、労働力、剰余価値、包摂、本源的蓄積、階級闘争などの重要な概念を取り上げ、それらを現代の生活や社会問題と結び付けながら説明している。表題にある「武器」とは、自分が生きている社会を、それまでとは異なる角度から見るための思考の道具という意味である。

私たちは日常生活のなかで、商品を買い、賃金を得るために働き、より多くの収入や安定した地位を求めて競争している。それらは一見すると、個人が自由な意思で選んでいる行動に見える。

しかし、『資本論』を通じて社会を見ると、その背後に、個人の意思だけでは説明できない仕組みがあることが見えてくる。企業は利益を上げ続けなければ競争に敗れ、労働者は生活するために自分の労働力を売らなければならない。消費者もまた、次々に生み出される商品やサービスを選びながら生活することを求められる。

白井が伝えようとする『資本論』の「すごさ」は、資本家が悪い、労働者が苦しいという個別の現象を指摘したことだけにあるのではない。それらの現象を繰り返し生み出す社会の仕組みを捉えたことにある。その意味で『武器としての「資本論」』は、『資本論』を使って、自分たちが暮らしている資本主義社会を見直すための入門書である。

2 マルクスが分析したのは「資本」である

白井の説明で重要なのは、マルクスの分析対象を、個々の資本家ではなく「資本」に置いていることである。白井は資本を、「無限の価値増殖の運動」と説明する。資本の目的は、社会に必要なものを生産することでも、人間を幸福にすることでもない。投じられた価値が、より大きな価値となって戻り、さらに次の価値増殖へ向かうことが資本の運動である。

もちろん、資本主義の発展によって生活が便利になり、生産力が向上し、多くの商品やサービスが利用できるようになったことは事実である。しかし、それは資本の第一の目的ではない。便利さや安全、豊かさが実現することがあっても、それは価値増殖の過程で生じた結果である。資本そのものは、人間の幸福を目的として運動するわけではない。

この見方に立てば、資本主義の問題を、資本家個人の強欲さだけによって説明することはできない。マルクスは資本家を「資本の人格化」と捉えた。資本家は資本を自由に操っているように見えるが、実際には、競争に勝ち残るために利益を追求し、投資を続け、生産性を高めなければならない。資本家もまた、価値増殖を続ける資本の運動を担わされているのである。

これは、資本家と労働者の立場の違いや、搾取の存在を否定するものではない。生産手段の所有、経営上の決定権、所得や資産には大きな格差があり、労働者が置かれた従属的な立場は現実に存在する。

しかし、資本主義が存続し続ける理由を、一部の資本家の悪意だけに求めることもできない。個人が善良であっても、企業が資本として存続するためには、利益を上げ、競争し、蓄積を続けなければならないからである。

白井の議論は、社会の問題を「悪い人」を見つけることによって説明する道徳的批判から、一定の行動を人々に強いるシステムの分析へと視点を移す

3 商品でなかったものが商品になる

資本が価値増殖を続けるためには、新しい市場を生み出し、これまで商品でなかったものを商品に変えていかなければならない。白井は、水、家事、身体、文化などを例に、資本主義の発展が商品化の範囲を広げてきたことを説明する。

かつて家庭や共同体のなかで行われていた活動が、商品として購入されるサービスに変わる。自然に存在していた水が容器に入れられ、価格を持つ商品として販売される。人間の身体や能力、感情、他者との関係も、市場で取引される対象になっていく。

商品化は、生活を便利にする面を持っている。家事サービスを利用することで負担が軽くなることもあれば、市場を通じなければ得られなかったものを得られることもある。

しかし、商品化が拡大するということは、それまで市場の外部にあった活動や関係が、価値増殖の運動に組み込まれることでもある。人間にとって必要かどうか、幸福につながるかどうかとは別に、利益を生む可能性のあるものが市場へ取り込まれていく。

白井は、この運動を資本主義の偶然の行き過ぎとは捉えない。商品でないものを商品へ変え、価値増殖の領域を広げることは、資本の運動そのものから生まれる傾向だからである。

4 資本主義は人間を「包摂」する

『今を生きる思想 マルクス 生を呑み込む資本主義』で中心となるのが、「包摂」という考え方である。包摂とは、単に人間が資本主義社会のなかに置かれることではない。労働や生活のあり方そのものが、資本の価値増殖に適した形へと組み替えられていくことを意味する。

マルクスは、既存の労働過程が資本の支配下に置かれることと、機械化や分業によって労働過程そのものが資本に適した形へ変えられることを区別して論じた。

白井は、この包摂という視点を現代社会へと広げて考える。資本主義は、工場や職場で労働者を支配するだけではない。教育、消費、娯楽、文化、人間関係、時間の使い方、さらには人間の価値観や欲望にまで浸透する。

私たちは、より多く働き、より高い収入を得て、より多く消費することを成功と考える。自分の能力を高め、市場での価値を上げることを「自己実現」と捉える。休息や趣味さえも、仕事の効率を上げるための手段として理解されることがある。

ここでは、資本主義は外部から人間を強制しているだけではない。人間自身が資本主義の価値観を受け入れ、それに沿って自分を評価し、行動するようになる

白井は、人間が資本を飼いならしているつもりで、反対に資本によって飼いならされていると表現する。人間は資本主義に適応しているように見えるが、実際には、資本主義に適応するよう自らの生活や価値観を変えさせられているのである。

「生を呑み込む」という書名は、この関係を示している。資本主義は、経済の一部分に限定された制度ではない。人間が何を望み、何を成功と考え、どのように時間を使い、自分自身をどのように理解するかにまで関わる社会の仕組みなのである。

5 自分の不自由を知る

白井のマルクス論は、資本主義の構造を説明するだけでは終わらない。白井によれば、自由への第一歩は、自分がどれほど不自由であるかを知ることである。

私たちは、自分の職業、消費、生活様式を自由に選んでいると考えている。しかし、その選択肢そのものが、資本主義の仕組みによってつくられている可能性がある。自分が何によって動かされ、何を当然だと思わされているのかを知らなければ、自由であると思いながら、実際には資本の運動に従っているだけかもしれない。

白井は、資本主義社会の外部へ直ちに脱出できると主張しているわけではない。多くの人は、生活のために労働力を売り、商品を買わなければならない。その現実を無視して、資本主義に従っている人を道徳的に非難しても意味はない。

重要なのは、現在の生活を続けざるを得ないとしても、それを唯一の自然な生き方として全面的に受け入れないことである。資本主義の論理と自分との間に一定の距離を置き、違和感を失わないことが必要になる。

自分がどのような力に支配され、どのように不自由にされているのかを知る。それによって初めて、別の生き方や社会の可能性を考える道が開かれる。この点に、白井が『資本論』を現代人の「武器」と呼ぶ理由がある。

6 白井聡のマルクス論が持つ意義

白井の2冊が持つ第1の意義は、『資本論』を共産主義社会の設計図から切り離し、現在の資本主義を分析する書物として提示したことである。

ソ連型社会の崩壊や社会主義国家の失敗によって、マルクスの理論全体が否定されたとする見方に対し、白井は、マルクスの主要な仕事はそもそも資本主義の分析だったと指摘する。

未来社会についての予測が正しかったかどうかと、資本主義についての分析が現在も有効かどうかは、分けて検討しなければならない。

第2の意義は、資本主義批判を、資本家個人への道徳的非難からシステムの分析へ進めたことである。

社会の問題を特定の人物や企業の強欲さだけで説明すれば、その人物や企業を交代させることで問題が解決するように見える。しかし、競争と価値増殖を強いる仕組みが残る限り、同じ行動は別の人々によって繰り返される。

白井の議論は、誰が悪いのかという問いだけでなく、なぜ同じ問題が繰り返し生み出されるのかを問う。

第3の意義は、資本主義の分析対象を、職場や経済活動だけでなく、生活や意識の領域へ広げたことである。

資本主義は、人間の外部にある経済制度ではない。人間の欲望、価値観、時間感覚、自己理解のなかに入り込み、人間自身を資本の運動に適した存在へ変えていく。

この視点に立つと、資本主義を変えるという問題は、企業の所有形態や所得分配だけでは完結しない。働き方、消費、生活時間、人間関係、文化、自然との関係まで含めて、社会のあり方を考え直す必要が生じる。

同時に、白井の著作は、資本主義に代わる制度の具体的な設計を詳しく提示するものではない。

資本の運動をどのように制御し、商品化された領域をどのように社会の共同管理へ戻すのか。市場、計画、民主主義をどう組み合わせるのか。こうした問題は、その先に残されている。

しかし、それは、今は問わない。社会を変える構想を立てる前に、まず現在の社会がどのような仕組みによって動いているのかを知る必要があるからだ。

7 日本共産党との比較への入口

白井の議論は、日本共産党が『資本論』や共産主義をどのように説明しているのかを考えるうえでも、一つの比較軸を提供する。

日本共産党は、「大企業優先政治」「財界中心の政治」「大企業の横暴」といった表現を用いて、政治と経済的権力との結び付きを批判してきた。こうした表現は、誰が政策決定から利益を得ているのかを分かりやすく示す点で、政治的な意味を持つ。

一方で、資本主義の問題を大企業や財界という特定の主体の問題に集約すれば、資本の価値増殖運動が、経営者だけでなく、そこで働く労働者や社会全体にも一定の行動を強いていることが見えにくくなる。

分析の対象を資本主義というシステムに置きながら、それを政治の言葉や具体的な政策へどのように翻訳するのか。『資本論』を、未来社会や党の理念を説明するためだけでなく、現在の社会を批判的に認識するための方法として、どのように位置づけるのか。

この問題については、白井の議論だけで結論を出すことはできない。現代のマルクス研究と政治実践をさらに検討する必要がある。

おわりに

白井聡の2冊は、『資本論』を難解な古典や共産主義の教義としてではなく、現在の資本主義を理解するための分析方法として提示している。

マルクスが分析したのは、単に強欲な資本家ではない。人間の幸福とは別の論理によって無限の価値増殖を続け、資本家にも労働者にも一定の行動を強いる「資本」の運動である。

さらに資本は、職場や生産だけでなく、商品化と包摂を通じて、人間の生活、時間、欲望、価値観にまで浸透する。

白井の議論が投げかけるのは、私たちが資本主義のなかで自由に生きていると思いながら、実際には何に動かされているのかという問いである。自分たちの不自由を認識することが、社会を別の方向へ変えるための出発点となる。

次回予告 第10回:斎藤幸平は『資本論』から未来社会をどう構想したのか 当初の連載計画を変更して、斎藤幸平の資本論を考えたい。白井は、資本主義が人間の生活や内面をどのように包摂するのかを示した。一方、斎藤は、資本の価値増殖運動が自然との物質代謝をどのように変質させているかを問う。

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