はじめに
本稿の目的は、不破哲三のマルクス研究を日本共産党の理論形成史のなかに位置づけ、その特徴と、その後の志位和夫による継承・変容を考察することである。
党は1976年に「マルクス・レーニン主義」の呼称を「科学的社会主義」へ改めた。このスターリン以後の定式を総点検する過程で、マルクスの原典に立ち返って理論を再検討する不破氏の研究は重要な役割を果たした。
一方、志位和夫の「青本」「赤本」は、不破氏らの研究成果を土台としながら、共産主義の魅力を一般読者に伝える啓蒙書として機能している。
本稿の関心は、両者の個人的な能力の比較にはない。問題は、不破氏によって開拓された原典研究が、志位氏の段階においてどのように政治的啓蒙へと再構成され、その過程でいかなる「理論的変質」を被っているかという構造の分析である。
1. 不破哲三以前の日本共産党理論
長く日本共産党の理論は、マルクス、エンゲルスからレーニン、さらにソ連で体系化された「マルクス・レーニン主義」を、基本的に連続した一つの理論体系として理解してきた。
もちろん、戦前の野呂栄太郎らによる日本資本主義研究や、戦後の宮本顕治を中心とする自主独立路線など、日本社会を独自に分析し、自らの政治路線を形成する試みは存在した。
しかし、政治的にソ連や中国から自立することと、ソ連を中心に定式化された理論そのものを再検討することは同じではない。外国の党の指示を拒否する自主独立が確立された後にも、党の理論には「マルクス・レーニン主義」の概念や歴史認識が残されていた。
不破氏の研究は、この自主独立を理論研究の領域にまで進めようとしたものだった。「国際的な定説であっても、マルクスの原典に照らして再検討する」という方法論への発展である。
2. 不破哲三のマルクス研究の特徴
不破氏は、自らの研究方法を「マルクスをマルクス自身の歴史の中で読む」と表現している。これは、自らの主張を権威づけるためにマルクスの文章を断片的に引用する手法とは対極にある。
若い時期の著作、研究途中の草稿、公刊された著作、晩年のノートを区別し、マルクスが最初から完成した理論を持っていたのではなく、生涯にわたって認識を変化・発展させた思想家だったと不破氏は強調した。
このアプローチは、草稿やノートを通じてマルクスの思想形成過程を再構成する新MEGA以後の研究と、方法上の共通性を持っていた。
ここで問われたのは、「マルクス主義の定説」ではなく「マルクス自身の到達点」であり、エンゲルスやレーニンの見解すらも相対化して検証する視座の獲得であった。
3. 『マルクスは生きている』と「青写真」論
2009年刊行の『マルクスは生きている』は、不破氏の研究成果を一般向けに総合した著作である。
同書を含む不破氏の未来社会論の核心は、「マルクスは未来社会の細かな制度や運営方法を示す『青写真』を描かなかったが、生産手段の社会化や自由な生産者の連合といった、その基本原理や方向については具体的な考察を残した」という整理にある。
将来の世代が解決すべき問題を19世紀の理論家が先に決めるべきではないというこの解釈は、マルクスを教条的な予言者から解放する意義を持っていた。
4. 研究者と政治家の二面性――党綱領への接続
しかし、不破哲三はマルクス研究者であると同時に、日本共産党の最高指導者であった。そのため、彼の研究は純粋な学術研究にとどまらず、2004年の第23回党大会における綱領改定(従来の分配方式による二段階論を綱領に採用せず、未来社会論の中心を生産体制の変革に置く見直し。社会主義と共産主義を区分しない)へと直接的に接続された。
ここには、原典研究によって硬直化した党理論を刷新するという積極面がある一方で、ぬぐいがたい緊張関係が存在する。不破氏の「研究」は、党の自主独立路線やソ連批判の正当性を証明するという「政治的要請」の枠内にあり、原典を用いて党綱領を再構成する作業でもあったからだ。
この二面性を見落とすと、不破氏の業績を過大評価、あるいは過小評価することになる。
5. 志位和夫への継承――「党内定説」への無批判な依拠
この不破氏の到達点を引き継いだのが、志位和夫が自身の講演内容をまとめた2024年の「青本(『Q&A 共産主義と自由』)」と、2025年の「赤本(『Q&A いま「資本論」がおもしろい』)」である。
重要なのは、志位氏の著作の成り立ちである。志位氏自身が赤本の「はじめに」で、講演の準備に際して、不破氏の『「資本論」全三部を読む 新版』などに、「全面的に学び、活用させていただきました」と明記している。
さらに、不破氏とともに『新版 資本論』の刊行に関わった山口富男の協力を受け、山口氏の『“自由な時間”の探求と『資本論』』を参照したことも記している。
つまり志位氏の著作は、志位氏自身による独立した原典研究だけを基礎とするものではなく、不破氏を中心とする党内研究と、山口氏ら社会科学研究所の成果に大きく依拠して成立したことが確認できる。
6. 研究から政治的啓蒙への変容
両者の決定的な違いは、著作を構成する「方向(ベクトル)」にある。
不破氏のアプローチが、原典や草稿の検証から出発し、思想形成過程の研究を経て、従来の定式の検証をふまえ、党理論・綱領へと反映させる「ボトムアップ」の方向を持っていたのに対し、志位氏の著作では、理論形成の重点が逆転している。
志位氏はまず「人間の自由こそ目的である」という第29回党大会の決定事項(政治的結論)を起点とし、それを社会に普及・宣伝するために、不破氏・山口らの研究成果からマルクスの原典をあたり、Q&A形式による政治的説明を行う「トップダウン」の手法をとっている。
専門的な成果を一般に平易に伝えることは、政党指導者の正当な役割ではある。しかし、ここには重大な陥穽がある。あらかじめ設定された党の結論を正当化するためにマルクスが引用されるとき、そこに研究上の異論や未解決の余白は示されない。
あらかじめ設定された党の結論を説明するためにマルクスの原典と先行研究が再構成されるとき、研究上の異論や未解決の問題は後景に退きやすい。その結果、探究の過程よりも、すでに確定した党理論を説明する教義的性格が強まる危険がある。
おわりに――不破理論の教条化という危険
不破哲三の歴史的役割は、ソ連型の定式から離脱し、マルクスの原典に基づく理論的自主性を党にもたらしたことにある。
しかし、志位氏の青本・赤本への変容過程は、不破氏が重視した「探究の精神」が弱まり、不破氏自身の解釈が新たな党内定説として固定される危険を示している。
不破氏の研究成果や党大会で決定された政治的命題が、マルクス研究そのものの確定した到達点として提示されるならば、それは、不破氏がかつてソ連型の教条主義を克服するために掲げた「原典に立ち返って検証する」という批判的精神と緊張関係に立つ。
日本共産党の理論的課題は、不破氏の結論を啓蒙書として反復することではなく、不破理論そのものを現代の研究成果に照らして継続的に検証できる自由を、党内に確保することである。
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