本動画は、2026年7月23日付『しんぶん赤旗』に掲載された小池晃氏の論文「皇室典範論戦と党綱領の生命力について」を、小池氏自身が補足・解説したものである。
論文は、女性天皇を認める根拠を、皇室内部の男女平等ではなく、国民統合の象徴を男性に限定する合理性や、日本社会のジェンダー平等への影響に求める。そして、政府が「なぜ女性ではだめなのか」に答えられなかったことを、党綱領の「生命力」が発揮された結果と評価する。
動画ではさらに、党綱領と現行憲法の関係、「民主共和制」の意味、天皇の制度の存廃と「国民の総意」について説明している。
しかし、その補足によって、党綱領の理念、現行憲法の遵守、政党としての政策選択、国民による最終決定という別々の問題が、かえって混同されている。
1.「民主共和制」を掲げながら、党自身の選択を明確にしない
動画では、党綱領が、世襲で一人の個人が国民統合の象徴となる現制度(一般に言う『象徴天皇制』)を、民主主義および人間の平等の原則と両立しないと認識し、「天皇の制度を廃止し、世襲の特権を持たない国家体制である『民主共和制』の政治体制の実現をはかるべきだとの立場」に立っていることが紹介されている。
小池氏はこれを「国王のない、大統領みたいな政治体制」と説明する一方で、「存続もある、廃止もある」「どちらにするとは言っていない」「共産党は将来廃止するとは言っていない」と述べる。ここでは、最終的な決定権が国民にあるという民主的手続きと、政党自身がどの制度を望ましいと考えるかという政策選択が混同されている。
国民が最終的に決めることは当然である。しかし、党綱領が民主共和制を望ましいとするなら、その内容と理由を国民に示すことが政党の役割である。「国民が決める」と強調することで、党自身の選択まで曖昧にすることはできない。
動画はまた、綱領が民主共和制の「実現をはかる」とせず、「実現をはかるべきだとの立場に立つ」とした理由を、実現を掲げれば憲法改正が必要となり、現行憲法を守る党の方針と矛盾するからだと説明する。
しかし、現行憲法を遵守しながら、その改正手続きに基づいて将来の制度変更を提案することは可能である。憲法改正を政策として掲げること自体は、現行憲法への違反ではない。「立場に立つ」という表現は、憲法上の必然ではなく、民主共和制を理念として残しながら、当面の政治課題としては積極的に提起しないという政治的選択と見るべきだろう。
さらに小池氏は、制度の存廃を国民の総意に委ねることを根拠に、「憲法の立場と党綱領の立場は一致している」「同じ方向を向いている」と述べる。しかし、両者が整合するのは、現在は現行憲法に従い、制度変更は国民の意思と憲法上の手続きによって決めるという手続き面に限られる。
現行憲法は天皇の制度を定めている。一方、党綱領はその制度を民主主義・平等と両立しないと評価する。手続き上矛盾しないことと、理念や制度の方向が一致することは別である。
2.一般的な男女平等の問題を、党綱領との整合性の問題にしている
動画は、現在の天皇には国政上の権能がないため、天皇の制度をなくさなくても、暮らしを改善し、平和を守ることはできると説明する。消費税や安保法制も天皇の名によって導入されたものではなく、天皇の制度は個々の政策を変える直接的な障害ではないという。
この説明自体は理解できる。同時に、天皇が「日本国民統合の象徴」とされている以上、その継承資格を男性に限定することが、男女平等やジェンダー平等の観点から社会的議論の対象となることも不自然ではない。
したがって、「天皇には国政上の権能がない」という説明と、「男性限定の継承制度は社会的影響を持つ」という説明は、それ自体として矛盾しない。問題は、その先である。
女性天皇を認めるべきだという主張は、男性に限定する合理的理由がないこと、男女平等の理念、国民多数の世論など、一般的な根拠だけで十分に成り立つ。日本共産党の綱領を前提としなくても理解できる議論である。
ところが党綱領は、世襲で一人の個人が国民統合の象徴となる制度そのものを、民主主義・平等と両立しないと評価している。そのため、皇室内部の男女平等を正面から論じれば、「平等原則と両立しない制度の内部に、なぜ男女平等だけを持ち込むのか」という綱領との関係が問われる。
小池氏の記事と動画は、この問題を避けるため、皇室内部の平等ではなく、「日本社会全体のジェンダー平等への影響」という角度から女性天皇を論じる。天皇の制度そのものの是非については、現行憲法を遵守し、最終的には国民の総意に委ねるという説明にとどめる。
その結果、本来なら、「天皇を男性に限定する合理的理由はなく、男女平等の観点から女性天皇を認めるべきである」と説明すれば済む問題に、「皇室内部の平等として論じると党綱領との矛盾が問われるため、日本社会全体のジェンダー平等という角度から接近する」という、一般国民には分かりにくい党内的な論理が持ち込まれている。
しかも動画は、この論法によって政府の反論を封じたことを、党綱領の「生命力」が発揮された結果と評価する。
しかし、実際に共感を得た理由は、党綱領に固有の民主共和制論ではなく、男性限定に合理性がないという一般的な男女平等論にある。綱領が独自の説得力を生み出したというより、綱領固有の現制度への批判を前面に出さず、一般的な平等論によって政府案を批判したという方が実態に近い。
3.「国民の総意」の意味と確認方法が一定していない
動画では、「国民の総意」という言葉が繰り返し使われるが、その意味や確認方法は場面によって異なる。
女性天皇については、世論調査で7割、8割の支持があることを重視し、男性限定に固執する政府案は「国民の総意」に反すると批判する。
退位問題については、当時の天皇の退位を認める世論が広がり、特例法が国会でほぼ全会一致によって成立したことを、「国民の総意」が具体的に示された例として挙げる。
一方、天皇の制度の存廃については、「将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決される」と説明するだけで、何をもって情勢が熟したと判断するのか、どのように総意を確認するのかは示されていない。
制度廃止には憲法改正と国民投票が必要になる。しかし、その前提となる「情勢の成熟」を誰が、どのような基準で判断するのかは不明である。
動画における「国民の総意」は、世論調査の多数、国会の圧倒的合意、将来の情勢の成熟、憲法改正の国民投票という異なる内容を指している。
しかし、これらは同じものではない。世論調査は設問や時期によって変わり得る。国会の多数も国民の意思と完全には一致しない。「情勢が熟した」という判断にも客観的な基準はない。
この問題は、「立法府の総意」をめぐる説明にも表れている。政府側が皇室典範改定案を「立法府の総意」に基づくものとしたことに対し、動画は、複数の会派が反対している以上、「立法府の総意」はフィクションだと批判する。この批判には理由がある。
しかし一方で、女性天皇については、2割、3割の反対があっても、7割、8割の賛成を「国民の総意」の根拠として扱う。立法府の総意と国民の総意は同じ概念ではないとしても、「総意」という強い言葉を使う以上、単なる多数と幅広い合意を区別する必要がある。
厳密に言えば、政府案については「国会内の幅広い合意を得ていない」、女性天皇については「国民多数の支持がある」「世論の明確な傾向が示されている」と区別して表現すべきだ。
自党に不利な国会内の合意には厳格な基準を求めながら、自党に有利な世論については多数の支持を「総意」の根拠とするのであれば、結論に応じて言葉の基準を使い分けているとの批判を免れない。
同じ曖昧さは、自衛隊解消について「国民の圧倒的多数の合意」を条件としながら、その確認方法を示していない問題にも見られる。
「国民の総意」は民主的決定の原則ではある。しかし、それだけでは、政党がどの制度を望み、いつ、どのような条件で変更を提起するのかを示す具体的な政策にはならない。
おわりに――一般的な平等論を、綱領の「生命力」と誇大評価
動画は、今回の皇室典範をめぐる論戦について、党綱領の「大事な部分」が生かされ、綱領の立場に立ったからこそ説得力ある議論ができたと評価する。
しかし、実際に前面に出されたのは、女性天皇を支持する国民多数の世論、男性限定に合理的理由がないこと、男女平等やジェンダー平等といった一般的な憲法論・平等論である。
これに対し、党綱領に固有の、「一人の個人が世襲で国民統合の象徴となる現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立しない」という認識は、論戦の前面に出されていない。
まず、綱領固有の民主共和制論を論争から外す。次に、一般的な男女平等論と世論によって政府案を批判する。そして、その成果を党綱領の「生命力」の証明として位置づける。これが記事と動画の論理構成である。
今回の論戦は、党綱領から独自の結論が導かれたというより、綱領固有の立場との緊張を表面化させずに政府案を批判し、その成果を後から「党綱領の生命力」として回収したものと見る方が適切である。
動画で加えられた説明は、党綱領の理念、現行憲法の遵守、政党としての政策選択、国民による最終決定の関係を明確にするどころか、かえって分かりにくいものにしている。

参考
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