1. 「旧ソ連」とは何だったのか
まず確認しておきたいことがある。私たちは日常的に、「共産主義」「社会主義」「マルクス主義」「マルクス・レーニン主義」「ソ連型社会主義」という言葉を使っている。しかし、これらは本来、同じ意味ではない。
マルクス自身は、「マルクス主義」という言葉を用いて自らの思想体系を定義したわけではない。また、「マルクス・レーニン主義」は、20世紀にソ連共産党が公式イデオロギーとして体系化した概念であり、マルクス自身の著作にその名称が現れるわけではない。
さらに、マルクスが構想した共産主義社会と、20世紀のソ連型体制をそのまま同一視することにも、多くの研究者は慎重である。
このように、学術的にはそれぞれ異なる概念として区別されている。しかし一方で、一般社会では必ずしもそのような区別はなされていない。
一般市民の歴史認識はどのように形成されたのか
日本で育った多くの人は、義務教育や高校教育を通じて、旧ソ連を「社会主義国」と学んできた。新聞やテレビでも、長年にわたり「社会主義陣営」「社会主義国」という表現が用いられてきた。冷戦期には、「資本主義陣営」と「社会主義陣営」という説明が、ごく一般的であった。
その結果、「共産主義」「社会主義」「ソ連」「共産党」という言葉が相互に結び付いて理解されるようになったとしても、不思議ではない。むしろ、それは日本社会において自然に形成された歴史認識である。もちろん、その理解が学術的に厳密かどうかは別問題である。
しかし、「共産主義と言えば旧ソ連」という一般市民の理解を、単純に「反共攻撃」あるいは「無知」として片付けることはできない。そこには歴史教育があり、戦後史があり、冷戦という現実があった。
だからこそ、日本共産党が現在の歴史認識を社会へ説明しようとするなら、まず、なぜ多くの市民がそのように理解しているのかという歴史的背景から共有する必要がある。社会との対話とは、その地点から始まるものではないだろうか。
2. 「旧ソ連とは何だったのか」をめぐる三つの立場
では、旧ソ連をどのように評価すべきなのだろうか。実は、この問題には学術的にも政治的にも一つの結論があるわけではない。大きく整理すれば、少なくとも三つの立場が存在する。
第一の立場
「革命の出発点には社会主義をめざす意義があったが、その後、社会主義から逸脱・変質した」とする立場
現在の日本共産党が採っている立場である。日本共産党は、ロシア革命そのものを全面的に否定しているわけではない。革命の出発点では社会主義をめざす目標が掲げられ、レーニン時代には一定の歴史的意義があったことを認めている。
一方で、レーニン期にも市場経済の拙速な廃止や一党制の合理化などの過誤があったと評価している。そして、スターリン期になると、民主主義が失われ、官僚主義・個人崇拝・覇権主義が進み、社会主義とは質的に異なる体制へ変質したと考えている。¹
したがって、日本共産党は、「旧ソ連は最初から社会主義ではなかった」とは説明していない。また、「共産主義を目指したが単に失敗した」とも説明していない。
党の立場は、革命の出発点には歴史的意義があったが、その後に社会主義から質的に逸脱したという歴史認識である。
第二の立場
「共産主義を目指したが、その実現には失敗した」とする立場
第二の立場は、現在の日本共産党とは少し異なる。この立場では、ロシア革命はマルクスが構想した社会主義・共産主義の実現を目標として出発したことを認める。しかし、その後、
- ロシアの経済的後進性
- 帝国主義諸国による干渉
- 長期にわたる内戦
- 革命の国際的孤立
- 権力の集中
など複数の歴史的条件が重なり、本来目指していた社会主義を実現できなかったと考える。つまり、目的そのものは共有していたが、現実には失敗したという理解である。
この立場は、左派研究者や社会主義研究者の一部にも見られ、革命の理想と、その後に成立した体制とを連続した歴史として捉える傾向がある。日本共産党との違いは明確である。
日本共産党は、ある時点で社会主義から質的に逸脱したと考える。これに対して第二の立場は、最後まで社会主義建設を目指したものの、現実には実現できなかった、という理解を採る。
両者は似ているようでいて、「いつ、どこで歴史が分岐したのか」という理解が異なるのである。
第三の立場
「理論そのものに問題があった」とする立場
第三の立場は、さらに異なる。この立場では、旧ソ連の権威主義は、偶然の失敗ではなく、理論そのものに原因があったと考える。例えば、
- 前衛党論
- 一党支配
- 権力集中
- 中央集権的計画経済
などは、マルクス主義あるいはレーニン主義から論理的に導かれる制度であり、旧ソ連はその必然的帰結だった、という理解である。この考え方は、自由主義や保守主義の立場から提示されることが多い。
もちろん、この立場にも様々なバリエーションがあり、すべての研究者が同じ見解ではない。しかし、「旧ソ連は理論から必然的に生まれた」という理解は、現在でも一定の影響力を持っている。
三つの立場は、何が違うのか
ここで整理すると、三つの立場は、旧ソ連の歴史をどのように評価するかという一点ではなく、理論と歴史との関係をどのように理解するかで違っている。
第一の立場(日本共産党)は、革命の出発点には社会主義をめざす歴史的意義を認めつつ、途中で社会主義から質的に逸脱したと考える。
第二の立場は、最後まで社会主義建設を目指したが、歴史的条件の中で実現できなかったと考える。
第三の立場は、理論そのものが旧ソ連体制を生み出したと考える。
重要なのは、これらはいずれも一定の論拠を持つ歴史理解であり、「唯一絶対の結論」が存在するわけではないということである。
だからこそ、日本共産党が第一の立場を採るのであれば、その理由と根拠を丁寧に説明することが求められる。
3. 日本共産党の歴史認識はどのように変わったのか
それでは、日本共産党自身は、どのような過程を経て現在の立場に至ったのだろうか。
まず確認しておきたいのは、日本共産党は1960年代からソ連共産党の覇権主義を厳しく批判してきたことである。1968年のチェコスロバキア侵攻も批判し、ソ連共産党との対立を続けた。この点は歴史的事実であり、現在の党も繰り返し強調している。
しかし、もう一つの歴史的事実がある。それは、1977年当時の党綱領では、ソ連などをなお「社会主義生成期」として位置付けていたことである。²
ここでいう「生成期」とは、社会主義社会はなお発展途上にあり、本来の社会主義の価値を十分実現していない段階にある、という理解であった。つまり、覇権主義を厳しく批判しながらも、なお社会主義の枠組みには位置付けていたのである。
現在から見ると、ここに一つの疑問が生まれる。もし現在のように、民主主義の有無を社会主義の本質的基準と考えるのであれば、なぜ1977年には、その基準を用いなかったのだろうか。ここから先が、本稿の中心的な問題提起になる。
4. 問われるのは評価変更そのものではない
ここで誤解してはならないことがある。本稿は、日本共産党が旧ソ連評価を変更したこと自体を問題にしているのではない。むしろ、評価の変更そのものは自然なことである。社会科学とは、現実を分析し、新たな資料や研究成果を踏まえながら理論を発展させていく営みである。
したがって、ある時代に下した評価を、その後の知見によって修正することは、科学的態度として何ら不自然ではない。日本共産党自身も、「科学的社会主義」を掲げる以上、その意味では理論の更新を否定する立場ではない。
本稿が問題にしているのは、評価変更の是非ではなく、その変更をどのように説明しているのかという点である。
「なぜ当時はそう判断したのか」という問い
現在の日本共産党は、民主主義を欠いた官僚支配体制は社会主義とは呼べない、という立場を明確にしている。もしこの基準が現在の党の到達点であるならば、当然、一つの疑問が生じる。なぜ1977年には、その基準で判断しなかったのだろうか。
もちろん、1977年当時には、ソ連崩壊後の資料は存在しない。東欧革命も起きていない。現在とは歴史的条件が大きく異なっていた。その意味では、当時と現在を同じ条件で比較することはできない。
しかし、それでもなお、理論が更新されたのであれば、更新以前の認識をどのように理解するのか、という問いは残る。
「理解が深化した」という説明だけで十分だろうか
日本共産党は、現在の歴史認識について、社会主義への理解が深化した結果である、という趣旨の説明を行っている。この説明には一定の合理性がある。
実際、ソ連崩壊後には、多くの公文書が公開され、研究も大きく進展した。その意味では、「理解が深まった」という説明自体は十分成立する。
しかし、読者が本当に知りたいのは、そこだけではない。多くの人が抱く疑問は、むしろ、なぜ1977年当時は、そのように判断したのか。ということである。
現在の説明は、「現在なぜそう考えるか」については比較的詳しい。しかし、「当時なぜそう考えたのか」については、十分な説明が行われているとは言い難い。
「当時の認識には限界があった」と説明してはならないのか
ここで一つ疑問が生まれる。もし、1977年当時、現在ほど十分な分析ができなかったのであれば、率直に、「当時の認識には限界があった」と説明してもよいのではないだろうか。
あるいは、現在の知見から振り返れば、「結果として判断は適切ではなかった」と説明することも可能ではないだろうか。
もちろん、「誤り」という表現には強い響きがある。政党にとって、過去の判断をそのように表現することには慎重さも求められる。
しかし、科学とは、過去の認識を絶対化することではない。新しい知見によって、それまでの理解を修正していく営みそのものである。むしろ、その過程を率直に説明することこそ、理論への信頼を高めることにつながるのではないだろうか。
5. 「一貫性」と「理論の発展」は両立できる
現在の日本共産党の説明には、もう一つの特徴がある。それは、「一貫性」を非常に重視していることである。
党は、1960年代からソ連共産党の覇権主義を批判し、1968年のチェコスロバキア侵攻にも反対し、自主独立の立場を貫いてきた。これは歴史的事実であり、現在も党が誇るべき歴史である。
しかし、覇権主義への批判と、社会体制そのものの評価とは、本来別の問題である。覇権主義を批判していたことは、そのまま「社会主義ではなかった」という評価を意味するわけではない。実際、1977年には、なお「社会主義生成期」という評価が存在していた。
したがって、覇権主義批判は一貫していたが、社会体制についての評価は後に更新された。そのように説明しても、自主独立という党の歴史まで否定されるわけではない。むしろ、その方が、歴史認識の変化を率直に示す説明になるように思われる。
理論形成とは、自らを検証する営みでもある
本稿で論じているのは、旧ソ連の評価だけではない。本稿が問うているのは、理論形成そのもののあり方である。理論は、一度完成したら終わりではない。現実の変化、新しい研究、新たな歴史資料、国際的経験、こうしたものを取り込みながら、不断に更新されていく。
しかし、更新とは、単に新しい結論を示すことではない。なぜ以前はそう考えたのか。何を根拠に現在の結論へ至ったのか。その過程まで説明して初めて、理論は社会から信頼される。これこそが「科学的社会主義」という言葉の本来の意味ではないだろうか。
社会との対話の出発点
現在、日本共産党は、社会主義・共産主義への理解を広げようとしている。しかし、その出発点となる旧ソ連評価について、社会が抱く疑問へ十分答えられなければ、対話は容易には進まない。
とりわけ、学校教育で旧ソ連を「社会主義国」と学んできた多くの人々にとって、「旧ソ連は社会主義ではなかった」という説明だけでは、直ちに納得することは難しいだろう。だからこそ必要なのは、結論だけではなく、その結論へ至る思考の過程を共有することである。
社会との対話とは、相手の認識を「誤解」と断じることから始まるものではない。まず、なぜその認識が形成されたのかを理解し、そのうえで、自らの理論形成の過程を率直に語ること。そこに初めて、相互理解の可能性が生まれるのではないだろうか。
本稿のまとめ
本稿は、旧ソ連をどう評価すべきかという結論を提示することを目的としたものではない。本稿で問いたかったのは、日本共産党は、どのように歴史認識を形成し、それをどのように更新し、その更新を社会へどのように説明しているのか。という問題である。
そして、理論を社会へどのように伝え、どのように共有するのかというのは旧ソ連問題にとどまらない共通の課題なのだ。
脚注
¹ 日本共産党第23回大会決定「日本共産党綱領」(2004年)。「十月社会主義革命の出発点では社会主義をめざす目標が掲げられたが、その後スターリンらの指導部が社会主義の原則を投げ捨てた」と整理している。
² 日本共産党第14回大会決定「日本共産党綱領」(1977年)。当時は、ソ連などを社会主義の「生成期」にある国として位置付けていた。
参考)「ソ連共産党とは何だったのか」聽濤 弘 (著)

次回予告 第3回:「共産主義」とは何を意味するのか 「共産主義」という言葉は、日本共産党、学術研究、そして一般市民の間で、必ずしも同じ意味で使われていない。本稿では、その概念を整理する。
※本連載の全体像や基本方針は、こちらの案内ページ(共産党研究/連載一覧)をご覧ください。

