はじめに
政党名は、単なる組織の名称ではない。社会に対して、自らが何を目指し、どのような理念を掲げる政党なのかを最初に伝える「言葉」である。日本共産党の党名をめぐっては、長年にわたり党外からだけでなく、党内からも議論が提起されてきた。
党名を変えるべきだという意見もあれば、百年以上の歴史を持つ名称を守るべきだという意見もある。本稿は、そのどちらかの立場を最初から前提にするものではない。問いたいのは、現在の「共産」という党名が、日本共産党の理念を社会に伝える言葉として、どこまで機能しているのかという点である。
1. 党名は何を伝えるものなのか
企業、大学、市民団体、政党――どのような組織であっても、その名称には意味がある。名称は、その組織の理念や歴史、活動内容を象徴し、社会との最初の接点となる。もちろん、人々が最終的に評価するのは名称ではなく活動や実績である。
しかし現実には、多くの人はまず名称を見て、その組織に対する第一印象を形成する。政党も例外ではない。もちろん、その名称だけで政党の中身がすべて理解できるわけではない。しかし、名称が社会に一定のメッセージを発していることは否定できない。
では、「共産」という言葉は、現在の日本社会において、どのような意味を持っているのだろうか。ここで、これまで本連載で整理してきた内容を少し振り返ってみよう。
2. 「共産」という言葉は何を想起させるのか
第3回で整理したように、「共産主義」という言葉は、人によって受け止め方が大きく異なる。日本共産党にとっては、それは人間の自由な発達を目指す未来社会の理念であり、旧ソ連型体制とは区別される概念である。
しかし、一般市民の多くにとって、「共産」という言葉からまず連想されるのは、二十世紀の旧ソ連や東欧、中国などの歴史である。その背景には、学校教育、新聞・テレビなどの報道、冷戦の歴史、そしてソ連自身が「社会主義国家」「共産主義建設」を掲げてきたという歴史的事実がある。
第4回で検討したように、学校教育は「理念としての社会主義」を教えているのではなく、歴史上存在した国家体制を分類し、その特徴を理解することを目的としている。したがって、多くの市民が「共産」という言葉を旧ソ連や社会主義国家と結び付けて理解することは、決して不合理でも特殊でもない。
むしろ、それは長年の教育や歴史認識を通じて形成された、ごく自然な社会的理解である。この事実を前提とするならば、「共産」という党名もまた、そのような歴史認識と無関係には受け止められない。
もちろん、日本共産党は現在の綱領において、旧ソ連型体制を社会主義とは無縁の抑圧体制であったと評価している。しかし、その理念が社会に十分共有されているかどうかと、「共産」という言葉から社会が受け取る第一印象とは、必ずしも一致していない。
ここに、党名をめぐる議論の出発点がある。
3. 日本共産党はなぜ党名を変えないのか
日本共産党は、党名変更を求める意見に対して、一貫して現在の党名を維持する立場をとっている。その理由はいくつかある。
第一に、「共産党」という名称は、1922年の創立以来、一世紀以上にわたる歴史の中で受け継がれてきた名称であるという点である。戦前の非合法時代から戦後の再建を経て、平和・民主主義・国民主権を掲げながら活動してきた歴史そのものを表す名称であり、それを安易に変更すべきではないという考え方である。
第二に、日本共産党が目指す社会は、旧ソ連型体制とは本質的に異なるという認識である。現在の綱領では、民主主義や自由、人権をさらに発展させた未来社会として社会主義・共産主義を位置付けている。したがって、「共産」という名称を変更するのではなく、その本来の意味を社会へ伝えていくことこそ重要である、という立場である。
第三に、党名だけを変えても本質的な問題は解決しないという考え方である。この点について、日本共産党は繰り返し、「党名を変えても『元共産党』と言われるだけだ」という趣旨の説明を行ってきた。一見すると、これはもっともな指摘にも思える。
確かに、長い歴史を持つ政党が名称だけを変更したとしても、その歴史そのものが消えるわけではない。過去の活動や社会的評価まで一夜にして変わることはない。その意味では、この説明には一定の合理性がある。しかし、この言葉は別の意味も含んでいるように思われる。
4. 「元共産党と言われるだけ」という言葉が意味するもの
「党名を変えても元共産党と言われるだけ」。この言葉は、単に党名変更が無意味だという主張ではない。むしろ、日本共産党自身が、「共産」という言葉には現在の社会に強い歴史的イメージが定着していることを認識している、ということでもある。
なぜ「元共産党」と言われるのか。それは、人々が政党を党名だけで理解しているのではなく、その歴史や過去のイメージと結び付けて理解しているからである。この点は、第2回から第4回までで見てきた内容とも重なる。
一般市民が「共産」という言葉から旧ソ連や冷戦の歴史を連想するのは、反共主義だからではなく、学校教育や報道、歴史的経験を通じて形成された社会的記憶によるものである。つまり、「元共産党と言われる」という認識そのものが、「共産」という言葉に社会的イメージが存在することを前提としているのである。
ここまでは、日本共産党の認識も社会の現実認識も一致していると言える。しかし、そこから先の結論には、一つ検討すべき点がある。「党名を変えても歴史は変わらない」ということと、「現在の党名が理念を伝えるうえで最も適切である」ということは、必ずしも同じ命題ではない。
歴史は変わらない。しかし、名称は現在と未来に向けて発せられるメッセージでもある。だからこそ、「党名変更は意味がない」という説明だけでは、「現在の党名が社会との対話にどのような影響を与えているのか」という問いには答えきれていないように思われる。
むしろ、この発言は、「名称だけでは解決しない」という事実を示すと同時に、「名称にも一定の影響力がある」という問題を改めて考えさせる契機にもなっているのである。
5. 党名だけでは解決しない。しかし党名は無関係でもない
ここまで見てきたように、「党名を変えても元共産党と言われるだけ」という日本共産党の説明には、確かに一理ある。
長年にわたって形成された歴史的イメージは、名称だけを変えたからといって直ちに変わるものではない。もし人々が旧ソ連や冷戦の歴史を思い浮かべるのであれば、その背景には学校教育、報道、国際政治、そして二十世紀の歴史そのものがある。党名だけを変更しても、それらの記憶まで消えることはない。
その意味で、「名称変更だけでは問題は解決しない」という指摘は妥当である。しかし同時に、「名称だけでは解決しない」ということと、「名称に意味がない」ということは同義ではない。政党名は、社会との最初の接点であり、理念への入口でもある。
もちろん、政党を評価するうえで最も重要なのは、その政策や活動、社会的実績である。しかし、人はまず名称に接し、その名称から一定のイメージを形成する。その第一印象が、その後の説明を受け入れるかどうかにも少なからず影響を与えることは否定できない。
したがって、党名はすべてではないが、決して無関係でもない。重要なのは、「党名を変えるべきか否か」という二者択一ではなく、「現在の党名が、理念を社会へ伝えるうえでどのように作用しているのか」を冷静に検証することではないだろうか。
6. 社会との対話という視点から
本連載の第2回から第4回までを通じて、一つのことが明らかになった。一般市民が「共産」や「社会主義」という言葉から旧ソ連や冷戦を連想することには、それなりの歴史的背景があるということである。それは、特定の政治的立場だけによって形成されたものではない。
学校教育で学んだ歴史、新聞やテレビの報道、冷戦期の国際情勢、そしてソ連自身が社会主義国家・共産主義建設を掲げてきたという歴史的事実が積み重なって形成された社会的記憶である。だからこそ、その認識を「誤解」として否定するだけでは、社会との対話は進まない。
まず、そのような歴史認識が形成された理由を認める。そのうえで、自らの考える社会主義・共産主義がそれらとは異なる理念であることを丁寧に説明する。こうした順序を踏むアプローチこそが、社会との対話において自然であり、より説得力を持つのではないだろうか。
これは第4回で述べた「教科書」の問題とも共通している。教科書が示す歴史的分類と、日本共産党が語る理念は、本来対立するものではない。両者を対立させるのではなく、「歴史上はそのように分類されてきた。しかし、私たちが目指す理念はそれとは異なる」と説明することは十分可能である。党名についても、同じことが言えるのではないだろうか。
おわりに
本稿は、「党名を変えるべきだ」と主張するものではない。また、「現在の党名を維持すべきだ」という結論を導くものでもない。問いたかったのは、現在の「共産」という党名が、日本共産党の理念を社会へ伝える言葉として、どこまで機能しているのかということである。
日本共産党は、「党名を変えても元共産党と言われるだけだ」と説明する。確かに、その通りかもしれない。しかし、その言葉が示しているのは、党名変更が無意味だということだけではない。「共産」という言葉が、社会の中で極めて強い歴史的意味を持っているという現実でもある。
だからこそ、本当に問うべきは党名そのものの是非ではない。その名が背負う歴史的イメージを踏まえたうえで、現在の理念をいかに社会へ伝えるかという、コミュニケーションのあり方そのものである。
党名を維持するのであれば、その名称に結び付いてきた歴史や社会的イメージと誠実に向き合い、そのうえで「私たちが考える社会主義・共産主義は何か」を説明し続けることが求められる。それが、社会との対話を重視するのであれば、避けて通れない課題ではないだろうか。
次回予告 第6回:「反共攻撃」とは何か 「反共」「反共攻撃」「攻撃」には、それぞれどんな意味があるのか。区別すべき点とは何かについて整理した。この文脈で29回党大会での大山発言や松竹除名問題にも言及した。
※本連載の全体像や基本方針は、こちらの案内ページ(共産党研究/連載一覧)をご覧ください。

